2012年9月5日(八段語録1796)

試験対策(人生)


 何故か、試験を前にして、人生について書きたくなるのです。人生は、個人の私的な欲心を捨てて、公益のために生きる人生でなければ、充実した人生を生きる事はできなというのが実感です。全体の為に貢献しようとする事が意義ある人生のようなきがするのです。

 人生において、多くの人から讃頌されたいと思うならば、まず多くの人を認めて、讃頌しようとする心がなければ、讃頌されるはずはないのです。つまり、与え、他のために生きるべきであると主張するのです。自己中心主義を貫こうとすると、どんなに立派な実績をあげようとしても、誰も認知もしてくれないのです。人のために生きようとするところに、自分の存在位置を明確にする事ができるのです。

 人は信頼関係を築く事によって生きるように想像されている集団的生き物であると思うのです。それ故に、お互い「親しくする」存在なのです。
たとえ、後ろ指を差され罵倒されたとしても、信頼関係を失わないという決意を持って、あゆむべきです。人を批判するのではなく、それでも、信頼して認めて進んでいくのが、逞しい生き方の人生の道ということなのです。


極真会館では、みんなに奉仕して、人生を生きる生き方を選択させます。ストイックに練習に励んでばかりいて、多くの道場生と絆を持たなければ、何の意味もないと説きます。このような生き方は、一見人を遠回りにするように導くように見えるかもしれませんが、決してそうではないと、私の人生で証明しているのです。

 ところで、そのように指導しているにもかかわらず、それが必ずしも道場生に繁栄をもたらさないただ一つの理由は、道場生が途中で突然懐疑的になって、自己中心的な思考で、物事をかんがえるようになって、最後の最後まで社会貢献をしようとする意思を、貫くことをしないからです。そのような人材を過去排出してしまいました。それでも、その事を反省材料にして、極真会館の指導者として立っていってほしいのです。