2012年9月3日(八段語録1794)

試験対策(6)


今週の金曜日から試験が始まると言う事になっているのです。最初の関門が、そのときからという事です。前期、後期、そして国家試験と七つの鐘を鳴らして、柔道整復師としての資格者になれるのです。そう考えると、七つの鐘の一つ目の鐘を鳴らすのが、今週末という事になるのです。そのような事を考えながら、待ち受けている試験に対して緊張が走ります。
 振り返って、4月からの授業の内容は、まるで別世界という事になります。そして、後輩のような教師に指導を受けるということは、自分があってはいけないという事なのです。確かに今まで、極真精神で指導的立場まで上り詰めてきました。それをもう一度壊さなければならないのです。壊すという事は、完全に自己否定をするという事なのです。何もへりくだれという事ではなく、目標に向かって、なりふり構わず、戦いを挑めという事になるのです。
 理想は高く天を突き、現実は大地にのめり込んでは、ならない訳なのです。授業の内容は、自習として試験勉強をするように指導するし、授業をする先生としても、親切に範囲教えながら、どのように勉強したらよいのかを指摘するのでした。確かに試験は、学生が受けるのですが、それを指導する先生の真剣な眼差しも、しっかり受け止める事ができるのでした。
 ところで、この柔道整復師の勉強は、何度も書いているのですが、高い目標であり、到達点なのです。この三年間で、一つの摂理の方向性を打ち出す訳です。空手道場の師範たちが決して歩んだ事のない道を、押し進めていると思うのです。やると宣言してからは、後戻りはできないのです。道場生誰もが、知っている事なのです。別に応援はいりませんが、自分の良心に従って、戦いを挑んでいるという事になるのです。
 結局のところ、怠惰な指導者にはなるまいという決意なのです。そしていつまでも戦う中心者でありたいと思うのです。新しい未来の極真会館の設計図をハートの中に抱いて、今日も前進しようとするのです。地位と名誉に胡座をかくことなく、ゼロポジションからの挑戦を実践しようとするのです。このような、人生を開拓しようとする自分に、精一杯の応援歌を歌いながら、筆を置くのでした。その強さは、大山総裁という人格を目指すということを願っていましたし、一貫として、創始者の姿だけを眺めてきたのでした。
 ところで、そのように指導はしますが、そういっても大山総裁は、もう地上にはいないのです。どうしてその影響を与えようとするのかというならば、物差しは、凡人の私が考えてみると、社会貢献というキーポイントとしてかぶさってくるのです。それだから、四十歳を過ぎても、大学へ学びに行き、どうしたら社会が認める極真会館を目指したらいいのかを、考えすぎるほど苦悶してきたのでした。
 自分のために生きたのは、青春時代そのものでした。ある意味で、ストイックまで、自分を見つめたのであり、自己中心そのものだったのです。それは一時の若き時代は許されるかもしれませんが、それが、社会人として認められるかというならば、自分の尊厳にかかわるほど、否定されてしまうのです。そのような意味では、どうしても、私が志す道は全うしなければならないと、さらに決意をするのです。
 ある意味で、自分の事は卒業なのです。誰のために生きるかなのです。そのようにとらえると、前期の試験に意義が生まれ、方向性が正されて、力になっていくのです。私が歩んでいる道は、この年齢ですから、厳しいものがあります。そんなに苦労しなくても良いのではないかと、周りから言われますが、後輩が歩むべき道として、しっかり、着実に、押し進めるのが、私の役割だと思うに至っているのです。