2012年8月28日(八段語録1788)

旅立ち(3)


 北海道では、札幌に拠点を置いて、事業を始めました。ときに22歳になったのです。東区の北24条東10丁目に店を出しました。主に食品関係を扱っていました。青年実業家として、今度は逃げ出すわけにはいかず、昼も夜もなく働き詰めました。二年もすると軌道に乗ってきたのです。そして、自立できた私が、再び極真会館の門をたたいたのが23歳の時でした。
 その時、お世話になったのが高木道場の高木師範でした。本部道場とは違って、いじめられることも無く、怪我をさせられることも無く、稽古に本格的に邁進できたのでした。もちろん、事業をやっていたので、高木師範の懐刀の面でのサポートもできました。
 事業は、良き社員に恵まれて、順調に業績が伸びていきました。そのころは、クラウンに乗ったりして、結構贅沢ができました。それでも稽古は休まずにしていました。本格的に体を作っていった時代ということになります。
 18歳から、旅に出たりして、修行をしたのですが、札幌で一挙に、花が咲いて実りが生まれたようでした。そこで初めて家に帰ったのですが、親父は嬉しそうでした。社長の名刺を見せ、事業規模が大きくなったということを報告しました。そのような中で、東京研修のときに、出会ったのが、妻の千順さんということなのです。広島の田舎の出身で、可愛らしさと、たくましさを感じたのでした。
 自分の伴侶に選択した人は、会社で自分を支えてくれた人ではなく、初めて出会った人であったのです。これも、背後で親父が願っていたのかもしれないと思えてならなかったのです。もちろん、自分の原則がありました。曲げるわけにはいかないのです。七年間で、独立できるような人間になりましたが、妻子を養うような度量もなければ、人格もないということで、人格の修行のために、事業の傍ら、より空手道に専念するようになったのでした。
 妻の千順さんとの出会いまでの、七年間を振り返ってみても、親父の影響のもとに自分の生活があったのであると思えるのです。生きて背後で操られるように自分の人生を開いたのだと今分かったような気がするのです。そのような伴侶を持つに至る歩みを振り返ったのでした。