2012年8月26日(八段語録1786)

旅立ち


 親父との回想は続くようです。今日も実に暑い日です。残暑というべきか、なんというべきなのか、ちょっと天候が狂っているような気がします。日付を間違って、学校へ出かけてしまいました。意気揚々でしたが、カギがかかって門前払いということになりました。それでも、気を取り直して、勉強にいそしましたが、それでも実に暑いのです。
 そんなことで、回想は、より続くようです。親父は、高い理想を私に話していました。大学は東北大学があるのだから、そこに入りなさいということでした。親父からの願いを受けて、中学の高学年から勉強し始めました。親父はその当時高かったキロクターという名前のナショナルのテープレコーダを購入してくれました。
 それで、よく中学生の勉強室という番組をラジオで聞いていました。テープに記録して、何度も聞き返していました。そのこともあって、高校時代はよく勉強をしたのです。親父も満足げに眺めてくれていました。学業ということではなく、結果的に家を出るようになったのです。18歳の12月の事でした。
 極真会館の記念写真があり、その中に総裁が大きく指導している場面がありました。一番後ろのほうに小さく、坊主頭の私が映っているのです。この時が、親父からの旅立ちということになったのです。大学という進路に向かって進んだのではなかったのです。ましてや親父が願う東北大学ではまるっきり違っていました。その名も極真会館であり、喧嘩空手ということになったのです。
 私は、親離れをして、道場を中心とした生活が始まりました。当然、学業はおろそかになっていました。もう既に仙台にはいないのです。生活も東京に移したのでした。卒業のための試験も受けませんでした。理由は東京にいたからなのです。学校からの再三の願いもむなしく、中退になりかけていたのですが、レポートの提出で難を逃れたのでした。
 このような旅立ちをしたのでした。親父としては、息子の生き方に納得のいくはずはないのです。それでも温かく見つめてくれたのでした。それで何をやっていたかというと、自立をすべきであるということから、廃品回収をして日銭を稼いでいました。それで、道場の七千円の月謝を払っていたのです。そして、不思議に、いろいろな書物を道場に通う中で読み漁っていたのでした。