2012年8月25日(八段語録1785)

親父


 亡くなって、大切さを感じる今日この頃です。生まれた時から、今まで世話になりっぱなしで、何の恩返しもせずに、あの世に送ってしまいました。今更ながら、申し訳なくも、残念にも思うのです。無条件で愛情を注いでくれたのです。誕生を心から喜んでくれたのです。そして親父の場合、ちょっと足が変形していたというのです。それで、息子は変形していないか念入りに眺めて確認して安堵したというのです。
 親父から受けた、子供のころの思い出は、宝の山のようになっています。いつどこを垣間見ても、新鮮に浮かび上がってきます。どれほど親父に愛情をかけられていたのかが、今更ながら、思い出されるのです。自分の人生を二つに分けると、親父の生前のときと、あの世へ送ったときなのです。そして、大事な葬儀は、あれで良かったのだろいうかと振り返ってしまうのです。
 葬儀は、喪主として、全財産を叩くようにして、執り行いました。何の悔いもなく、親父のために挙行したのです。兄弟からの援助を受けようとはしませんでした。何故ならば、嫡男として、親父をあの世に送りたかったからなのです。精一杯でした。そして、親父の墓を守り続ける決意もしたのです。
 もちろん、残された母親は、妻の千順さんと最大限尽くそうと心に決めたのです。もう一周忌を迎えようとしているのです。10月21日に会場を確保して、準備を整えているのです。そのことに関しても、精一杯の気持ちになります。親父の存命中、親戚を始め、あらゆる人に世話になりました。そのおかげで、今の我が家の繁栄があるのです。
 もう、親父から引きついて、一年の歳月が経過しようとしています。あっという間という思いです。そして一年間を振り返って、何ができていて、何が不十分であるかと、自分の心に問うたのです。まず心がけたことは、私が親父のそうしてもらったように、子供たちに精一杯愛情を注いだのです。その気持ちを途切れることなく、一年余り歩んできたのです。
 無条件に愛情を注ぎました。子供たちは成長しました。そして、良いものと、悪いものがよく見え始めているのも事実なのです。そして悪いものの、刈り取りも始めているのです。人生自分がそうであったように、親の願う通りにはいかないものです。それでも、納得するまで愛情をかけ続けようと思うのです。