2012年8月21日(八段語録1781)

原子力発電


 電力を原子力発電から、あらゆる自然エネルギーに置き換えていくことは、人々の英知を振り絞って開発していくべく、イノベーションであります。また、あらゆる技術者に課せられる努力内容になってくるのです。今回の予期せぬ東日本大震災は、あらゆる方向でターニングポイントを迎えたことになります。
 マスコミをはじめ、一般市民といわれる人たちは、国会議事堂を挟んで、原子力発電ゼロの運動を毎週金曜日に行うようになってきています。また東日本大震災以前に、二酸化炭素排出量25%までカットすると、国連で言い放った元総理までその市民の輪に参加しているのです。現状で行くと、その首相は主張に違反した、火力発電に頼るところが多いのです。つまり国連で主張したことは、茶番劇ということになるわけなのです。
 確かに、大災害がもたらした原子力の悪影響は、福島で何十万人という避難民を生み出し、流浪の民のごとく、全国を転々としているのです。それを最大の悲劇であるように思う当事者もいることは事実です。その被害者にも焦点をあてるべきですが、国政が果たす役割として、今の国力を徐々に失っていくことも懸念材料があるのです。日本国民が、世界の流浪の民となり、世界各国で生きなければならないとするならば、悲劇はもっと起こってくるのです。
 考えるまでもなく、日本民族が、第二のイスラエル民族のように、世界を流浪するとも限らないのです。そうすれば、受け入れてくれる国とそうでない国が現れることは、当たり前に考えられます。東日本大震災の「がれき」問題でも、身体を張って、受け入れ阻止に動いた市民もおりました。ましてや、世界各国の人々が日本国民を受け入れるとは限らないのです。
 そのような意味では、日本の主権を守り、国土を守り、国民を守るという原則から、国がリードをとりながら、経済力を身に着け、国民を保護しうる国力を高め、最大限の力を引き出しうる日本国家でなければならないと思うのです。力の中に包容力があるはずであり、科学立国として、英知を結集して、国民生活になくてはならない、経済力を高めていくべきであると考えます。
 この大震災は、日本国家の存亡をかけた重大な岐路にたっているのです。原子力発電の利用を安全に推進することを意思決定することもよし、新たなる開発をしていくことも重要であると思うのです。そのような事を考えた今日でした。それにしても実に暑いのです。