2012年8月20日(八段語録1780)

別れ


 大切な人との別れは、涙が止まりません。この年になると、葬儀の場に出席することが多くなります。大切な人、大事な人を亡くすのです。この人は一緒に生きていてほしいという人が亡くなるのです。はたと私の人生の時計も止まってしまうような気がします。それで、今日も葬儀に参列なのです。お盆を挟んでなので、先祖が近く来て迎えたかのように去っていきました。
 思うことは、どんな葬儀でも、その人物が、地上からいなくなったことはことに、間違いはないのです。ただ、これからの子孫の行く末が、かかっているので、決して粗末にはできないのです。私の場合も去年の10月に親父の葬儀を執り行ったのです。亡くなってから墓に葬られるまでに、外部的対応、内部的調整と、喪主として様々なことを執り行いました。
 これからの将来のために、親族との絆を深め、さらに相互援助の確認をさせていただいたのでした。まさに引き継ぎの儀式だったし、これからの家族の将来保護を決定することなのです。決して終わりではないのです。
 親父の葬儀を終えて、実感することは、責任が加重してくることなのです。決してカリスマ的な存在ではなかった親父でしたが、こつこつと人生を歩んできたのです。そして、お袋と一糸乱れぬ家族を守るという信条を貫いたのでした。そしてその貫かれた愛情が、今の森家を温かく見つめているのです。
 残してくれた、わずかな財産であっても、親父の汗と涙が結実したものでありますから
一粒たりとも無駄にはできないのです。大切なことは、その恩恵が、兄弟家族に行き渡ることであり、その汗と涙が、パンの麹の役割をして、幸福の源になることなのです。
 森家も、長男としての私の家族が本家となり、母を守り、兄弟家族を含めた森家を守り、将来の繁栄を誓うのです。役割的には、極真会館を守り、地域社会に貢献して、その結果として、家族連合の垣根や堀の役割をして、世間のあらゆる荒波と誘惑の手から守るようになるのです。その先頭に立つということが、喪主としての役割ということになるのです。
 今日の題目は別れでした。涙亡くして別れることができない人に対して、敬愛の念を抱きながら、その人の分までしっかりと地上に留まって、その人からくる関係性の役割をしっかり全うしていきたいと思うのでした。残されたものとして、生涯を大切することが、私に残された命題ということになります。