2012年8月19日(八段語録1779)

再会


 一番町を歩いていると、横浜に住んでいる夫人に出会いました。懐かしさのあまり、こちらから声をかけたのです。元気な様子でした。この夫人は、北海道札幌で北進商事という会社を立ち上げていたのですが、そこで従業員として一緒に働いてくれた方でした。何かの縁で、その人を知るようになったのでした。当時大手の拓殖銀行の行員をしていたのです。
 それが、こともあろうに、新しく始めたばかりの、私の会社に新入社員として、入社してくれたことになります。主に経理を扱ってくれました。銀行との取引もこの人のおかげでスムーズに行うことができました。ある意味で、新規開拓をせざるを得ない立場の会社でしたので、札幌での人脈を多く持っていて、仕事がうまくいったことになります。
 私よりも、8歳年上で、人生経験も豊富でしたので、社員の管理から、営業までアドバイスは的中していました。結局八年間の間、世話になりっぱなしでした。そのような人と、仙台でバッタリ会ったのです。懐かしさのあまり、声をかけたのでしたが、本人から返ってくる反応も、びっくりするほど、良かったのです。
 彼女も人生のターニングポイントであったらしく、大手の拓殖銀行という行員から、産声を上げたばかりの会社に来ることは、冒険であり、夢にも思わなかったというのです。それが、一青年の私が指導する会社で多くの刺激を受けたというのです。最終的にはよき人生を選択したと、ありがたいコメントを発してくれたのです。そのような事を話しているうちに、別れたのですが、人生どんな再会があるかということは、わからないものですが、ありふれた言葉ですが、まじめに一生懸命に生きるべきであるということなのだとおもうのです。
 それにしても、出会いによって、昔のことが走馬灯のように映し出されるものです。その結果、足らないことが多いのですが、良き思い出と残っているとしたら、幸せなことであると実感したのです。いやな思い出は、作り出さないようにするべきでしょう。それが、このようなよき再会した時の、充実した時間になるのです。出会は審判のような気がするのです。そのような事があって一日が終わったのでした。