2012年8月18日(八段語録1778)

墓参り


 お盆に、菩提寺の道安寺を訪ねて、親父の墓参りに出かけました。グランビアに乗り込み、お袋を先頭に行くのです。嫁の茂奈を含めて七人なります。利府のグランデー21の近くですので、我が家からすると、20分もすると到着してしまいます。
 父親の生誕は、複雑で、金上家の武寿と森家の静江との間に誕生したのですが、静江の母が武寿のふがいなさにあきれて、親父が生まれたのにもかかわらず、無理やり引き離してしまったというのです。
 当然、親父の母親は伊藤家に嫁ぎ、親父は、後家さんをもらったというのです。そして、父親は、森家のおばあちゃんに養子となって、育てられたのでした。今の時代でしたら、離婚即縁が切れるのですが、昔のことですから我が家では、親戚として付き合いをもっているのです。つまり、親父親戚は、養子として育った森家であり、金上家であり、伊藤家ということなのです。
 息子の私は、本家の森家との交流は、小学二年生のころまでありました。森家の長男が北海道から帰って家を継ぐようになってからは、親父を煙たく思い、親戚の集まる場で、母静江の位牌の件で喧嘩になり、それ以来近づかなくなった経緯がありました。伊藤とは、父とは、親父違いの妹がいて、三人の息子を設けていましたが、その付き合いがありました。金上家は、後家さんがとても良い人で、我が家に何度も来て父の母の静江を弔ってくれていました。その息子たちも、親父の弟として付き合いが深くありました。
 そのようなこともあり、墓参りは、森家、金上家、伊藤家と三つのお墓を回るのです。私の感覚では、親父は、長男であるにもかかわらず、養子として森家では、長男の扱いを受けずに、居候のような生活をしたようなのです。父の親の金上武寿は、親父のもとを、済まないという思いでよく訪ねてきてくれました。私は、よく覚えているのです。
 伊藤家とは、父の妹が近くのJTに努めていましたから、よく出合うことができました。その居住した家が、森家のおばさんの家でしたので、思い出があるのです。どちらにせよ、この背景を全部引き受けて、消化したのが、私の母ということになります。そこに、母の実家の金森家の援助が大きかったかということが伺い知ることができるのです。そのような意味では、母に引き上げられて、一生充実した生活をしたのが父親ということになるのです。そのようなことを頭によぎりながら、お墓に線香を手向けるのでした。