2012年8月17日(八段語録1777)

家族中心的思想


 私の場合、家族を中心とした単位を主張してきました。それは、今もこれからも変わらないのです。ところで現代社会における世間一般は、インターネットの発展や携帯電話の普及によって、世界と通じる情報システムが盛んになってきているのです。これは、表面的には喜べるのですが、一歩裏面に入り込むと、出会い系のサイト、ポルノ画像といった社会の健全性から、離反する社会現象が起きているのです。
 その現象が、青少年の健全育成を阻み、平気で不純友好関係を結ぶようになり、挙句の果てには、援助交際というように発展していっているのです。地域社会の連帯が、情報の乱用によって、乱れきってしまっている現状は嘆くばかりです。わが子だけは、そのようなことはないと思っている両親もいるのでしょうが、家族という人間関係も蝕んでいくようなのです。
 ところで、何故このようなことを取り上げるかというならば、悪魔の囁きが、そこまで近づいているということを警告するからなのです。一度悪魔の囁きにハマってしまった場合に、そこから抜け出すことは至難の業ということになるのです。覚せい剤においてはことさらです。あらゆるカウンセリングを駆使しても、脱却することは難しいのです。覚醒剤の場合は、犯罪ですから、法律が裁くわけなのです。そして収容施設に隔離されるわけですが、そこから出所しても、再び同じ罪を犯すようになるのです。
 増してや、人間としての根本に関わる愛情が、その辺の通りすがりの、どこの馬の骨とも分からない人と、平気で関係を結ぶといったことが、平気でなされ、法律でも規制することができないのです。青少年条例が県ごとに制定されているところもありますが、県の条例では、あまりにも不十分なのです。わが子を守るのは、子供の時代だけでなくて、成熟し始めた青春期が最も大切な時期になっていると思うのです。
 そのような意味で、家庭を基本とした、原則的絆を大切にすべきであると、声をあげて叫ぶのです。そのために、孟子、孔子の教えも、言葉として青少年たちに教育することも必要になってくると思うのです。指針とか、信条といった、原則を叩き込まなければならないと思うのです。極真空手は、このような点に着目すべきではないかと思うのです。