2012年8月15日(八段語録1775)

私の立場における、社会の正常と異常


私は、社会の正常と異常という事を考えた場合、あくまでも「正常」であるという立場に身を置かなければならないのです。もちろん、私は不完全であり、不十分であることは十分に承知して、尚且つ、「正常」というその立場を堅持しようとするのです。今の私の役割は、極真会館の指導者であることもさることながら、保護司として社会奉仕の精神をもつて、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるのです。さらに犯罪の予防のため世論の啓発に努め、地域社会の浄化をはかり、個人及び公共の福祉に寄与することを、その使命とするからなのです。浄化という事は、はっきり「正常」を心得て、「異常」を正すという事なのです。この役割を法務大臣から委嘱されているという責任から出発するわけです。「正常」の原点は、法律という事になります。
それ故、第一に人格及び行動について、社会的信望を有することを常に意識するのです。そのようにしなければ、「異常」なる犯罪者に対応することはできないのです。鑑別所や少年院、そして刑務所から出所してくる人との面接をするのですから無理なからぬことです。
第二に、自分の役割に必要な熱意及び時間的余裕を有することになります。異常に立ち向かうために、熾烈な戦いが必要となるからです。犯罪者の社会への更生は、普通の生活ではできないのです。犯罪や犯罪者を理解はしますが、同情はしません。法律に照らし合わせて、更生計画を立てることになります。決して再犯をさせないという固い決意で臨まなければならないことになります。第三に、正常に身を正すためには、生活を安定させなければならないことになります。これは、贅沢な生活をするということではなく、経済活動に気を取られず自由に動くことができるポジションを確保するという事なのです。さらに、第四に健康で活動力を有することを意識します。年齢が過ぎるにしたがって、健康は、与えられるものではなく、勝ち取っていくもののようになるからです。
  ところで、私の場合の「異常」は、禁固以上の刑に処せられないという事です。当然、交通違反は出来なくなります。人身事故も起こさないという慎重さが願われます。さらに当たり前ですが、日本国憲法の施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入することは、「異常」になります。
 このような「異常」を自ら自制して、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助け又は犯罪の予防を図るための啓発及び宣伝の活動をするわけです。さらに、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助け又は犯罪の予防を図るための民間団体の活動への協力をするのです。さらに犯罪の予防に寄与する地方公共団体の施策への協力し、その他犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助け又は犯罪の予防を図ることに資する活動で法務省令で定めるもの為に、全力を尽くすことになるわけです。
 結論として、社会の「異常」に取り組むために、自らを「正常」とする戦いは絶えずつきものになるわけです。自らの役割を自覚し、「正常」を保つために、その使命を自覚し、常に人格識見の向上とその職務を行うために必要な知識及び技術の修得に努め、積極的態度をもつてその職務を遂行するようになるのです。当然柔整師とは異なりますが、その職務を行うに当たって知り得た関係者の身上に関する秘密を尊重し、その名誉保持に努めなければならないという事になるのです。
 そのような意味では、聖職者のような生活にも思えます。この著者が書いているように、嘘をつけば、一般社会における窃盗や強盗といった事件が社会の人々に与えるとおなじ程度の衝撃を、与えるのも事実です。そして、大きくマスコミでも取り上げるのです。それでいて、不自由であるかというと、そのような事は一切ないのです。家族を愛する心は研ぎ澄まされますし、愛情も豊かになります。いつの間にか、対話も欠かさなくなるものです。 
 つまり、「これは正常でもよいもので、それは異常で悪いものだ」といった社会常識を厳格に守るのが、私の場合、社会を分析するうえで必要不可欠になるのです。これが、社会の犯罪という「病理」に対する視点なのです。