2012年8月14日(八段語録1774)

クレイムの申し立て活動


 社会では、「社会問題」について、「問題とされる状態」から「問題をめぐる活動」へと関心をシフトさせ、人々の要求・権利主張など主張のために「クレイム申し立て活動」によって社会問題を定義しようとします。「構造改革型」統治システムの下における新たな法概念や新しい権利主張の登場を分析する上で有益な視点と思われます。
 しかし、運営する側としては、実に神経を使うのです。「何かの想定された状態について苦情を述べクレイムを申し立てる個人やグループ活動」という事なのです。これは、問題は客観性がないという事です。かつて、私が運営する方針に合わず、反旗を翻し、多くの道場生と「信頼」を奪っていった人達がいました。問題を、道場生の家族にもアピールし文章を送り、精神的な苦痛を全体に与えたのでした。
 私としては、最大の配慮をして、沈静化に務めましたが、その労力は並大抵のものではありませんでした。もちろん、右肩上がりで成長した極真会館でしたから、いい薬にはなりましたが、その個人に対しては、今も心が痛みます。そのような経験を含めてのクレーム申し立て活動の説明でした。
 もちろん、その事によって、内部が結束して問題提起されたことに当たったのでした。あらゆる改革がなされました。そのような意味では、組織がクレームの申し立ての活動を受けることによって、成長したとも言えるのです。申し立てる方が勝手でしょうが、申し立てられる側からすると、何倍もの努力をするということになります。それによって、今の極真会館があるという事を思うと、労力や苦痛はありましたが、結果的に、地に足を付けた組織に成長したという事になります。
 このようなクレームの申し立ては、二度とあってはいけないと思いますが、実に身が引き締まったのも事実なのです。そのような経験が、不動の組織に成長させるのかもしれません。