2012年8月12日(八段語録1772)

予言の自己成就


 将来のことについて予言することで、実際にその予言どおりになってしまう事を「予言の自己成就」のです。もちろん、どのような予言をするかという事も重要になってくるのですが、予言することによって人々の意識や行動が変化し、そうした意識・行動の変化がその予言の実現にプラスに働くという事になります。
 社会学的にどのような事なのかは、分かりませんが、私の学生時代は、学生運動が盛んにおこなわれていました。全学連や全共闘といったグループも生まれ、理想社会という共産世界をめざし、赤化革命が世界中に起きていました。連合赤軍の浅間山荘事件当時には、世界の三分の二の国々が共産化されていました。この時代に生きて、共産党宣言がもたらす、彼らの予言が自己成就できたのでしょう。しかしこの日本では、成就されなかったのです。そのような意味では、予言が成就されるかどうかは、内容にかかってくると思われます。そして皮肉にも、最も共産主義が忌み嫌う、資本主義への流れへ、傾いて行っているのです。
 ところで、私もこの時代に生きて、学生運動に加担する事もなく、「予言の自己成就」の方向性が極真空手になったのです。中学・高校と柔道を六年間練習し、東京の池袋の極真本部の門を叩いたのが十八歳であったのです。入門当時は、それほど空手道は注目を集める武道ではなかったのです。本部道場に通ううちに、ブルースリーの「燃えよドラゴン」が映画で大ヒットするようになり、ジャッキーチェンの香港カンフー武道が映画化され、そのうち、極真会館で「地上最強の空手」が大ヒットしてしまったのです。
 私は、別にこのように有名になる団体とは知らずに入門したのでした。いつの間にか、入門生が増え、先輩風を吹かせて、青春時代は、自分が天狗にでもなったかのようにもてはやされました。「極真会館の中での知名度」ではありましたが、かなりいい思いをした年代を過ごしたことになります。そして、四十年期間過ぎてもこの団体の中核として指導者になっている訳ですから不思議なことです。これは,「予期もしなかった自己成就」ということになります。
 さらに、息子が「柔専」に通う事となって、普通の父親として、生活していたのですが、息子の二年間の留年をしたことに対する、いささかの、息子への憤りから、この学校に入学するという事になりました。勢いではあれ、「成り行きの自己成就」という事になるのでしょう。息子は息子としての個性体を持っているので、親の干渉するところではないのですが、親子として共通の話題は出来たのでした。結論として、「予言の自己成就」から、分からないものだという事に落ち着いてしまいました。これが説明という事になりました。