2012年8月11日(八段語録1771)

犯罪の社会的機能


 「犯罪は社会的に正常な現象だ」という主張は、異常な発言であります。いかに社会と犯罪との関係性を掘り下げても、理解不能に陥ってしまうのです。著者の例示として、犯罪を社会の多様性の指針と捉えるとあります。著者の主張は、犯罪が少ない社会というのは、均質的な社会と主張します。そしてそのような社会は、人々の行動や意識が統一した社会であり、環境の変化にうまく適応することがむずかしいというのです。まして、価値観や規範をも用意できないというのです。
 そして、犯罪の多い社会を、社会規範から逸脱した人々が多くいる社会というのです。そして、新たな価値観や規範を提示す人々や運動体もまた多く存在する事が可能であるというのです。そうした個人や価値観の多様性を認める社会は、柔軟に対応できるというのです。二つ目に、犯罪の有用性として、犯罪への社会的制裁が、社会的に許容される行為と非難される行為との間に引かれた線として、人々に再確認されることに有用であると主張するのです。このような論拠を犯罪の正常性とし、社会的価値判断から自由になるというのです。
 ところで、「犯罪イコール悪」といった視点から新たな視点を獲得するという主張は、到底理解できるものでもないのです。「犯罪は悪」なのです。したがって、社会的機能を見出すことは、不可能であると結論づけるのです。日本国にいる限り、憲法を守るべきであり、犯罪に対しては、刑法が生きてくるのです。社会的機能というならば、法律が国民に提示すべきことであり、国家の機能を果たすのです。当然、改正されることはあるのでしょうが、あくまでも、国民への幸福を基にした利益から生ずるべきでしょう。
 たとえば、家庭生活で刺激がないからという理由で、覚醒剤に手を染めて、罪を犯す夫婦がいるとします。確かに均一な社会からの逸脱であり、人々の行動や意識統一から逸脱したことになります。このようなことは、あらたか価値観の提示でもなければ、規範でもないと主張するのです。「犯罪は社会的に正常な現状」とは、言い難いことになります。
敢えて、著者の主張を一部考えるとしたら、第一次世界大戦、第二次世界大戦が、今後人類を滅ぼさないように国連の果たす役割を大きくして、抑止力にはなっているのです。しかし、それにしても、局地戦争は絶え間なく続いているという事を考えると、戦争も含めて、犯罪は、許されない人類にとっての敵なのです。まして、「悪魔の放つ罠」であると考えるべきでしょう。