2012年8月6日(八段語録1766)

社会学


 社会学の定義とは、“society”「人間」、「関係性」、「公的」、の三つの要素を含の含む研究対象とすること学問といい、その分野の比重で、学問研究内容の違いがあるということです。ある意味で、研究者の重点の置き方によって、どのような研究要素にもなるということなのです。つまり社会の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズムを解明するための学問であるということなのでしょう。
その研究対象は、人間一人の行為、行動、相互作用といったミクロレベルのものから、家族コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロレベルに及ぶものまでさまざまであるということになるのです。もちろん、学問の出発点は、フランス革命後の混乱と動乱に満ちた初期近代フランスを生きたオーギュスト・コントということですから、その時代の思想性が伺えるわけです。そのような意味では、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である」とも言もいえるし、連合赤軍のような、血と血で争った、浅間山荘事件のような共産革命でも目指せるわけです。(連合赤軍は、私の青春時代に出くわした社会革命主義でした)源流を正すと、マルクスという社会学者の影響という事になります。いわゆる作為的に、何をも動かすことができるし、殺戮も正当化するようになるのです。
 このような広範囲でつかみどころのない分野が、学問領域であるかというと、私としては甚だ疑問になります。ある意味でジャーナリズムに陥りやすいし、その時の風潮で、冷静な判断を失う場合があるように思えるのです。この複雑に絡み合った現代社会で、領域を限定せずに、できるだけ広い視野から対象を捉えることは、学問をするうえで、焦点が定まらなくなります。さらに、学術的研究が盛んになればなるほど、紆余屈曲し、批判と反批判を繰り返すように思えるのです。また、総合的に政策であろうとするゆえに、その時の権力者の意図が働いて、学問として、成り立たなくなるのではないかと思うのです。
 上記の内容も含めて、社会学の認識については、「価値自由」のルールにのっとったものであるべきか、それとも「健全な宗教精神」の伝統に準拠した人文学的性格のものであるべきかという事も考えさせられます。また、歴史的に実証主義と反実証主義の対立が生まれましたが、これも後に、たとえば、批判理論と構造主義的マルクス主義のアプローチといったかたちで繰り返されるようになったのを思いだします。さらに、シカゴ学派は当時の財閥の意図で動き、原点をヨーロッパにして、社会学として名乗り、日本流でいえば社会学の系図を重要視するのです。それまでにして、社会学にこだわろうとする意味は何であるのか分からないのです。それゆえ、社会学の定義は、私としては、不確定であり、今後概念は、変化していく事になるだけであろうと思うのです。
 私の場合、はっきりとした武士道という概念に立脚できたことは、社会に対する一つの測定器をもったことになりますし、変わらない不変な価値観を身にまとったという事になります。そのような意味では、不変性を持って対処できるようです。