2012年8月5日(八段語録1765)

入れ墨


 ヨーロッパのサマーキャンプに行くと、外国の道場生が初段クラスにもなると、胸や腕に極真会と入れ墨をしているのです。日本では考えることができないことです。極真会が生命なのです。そして強くなろうとしているのであり、気持ちを投入しながら稽古に励んでいるという姿なのです。
 イスラム教の人達も、コーランの中の言葉を自分の胸に入れ墨をしているというのです。日本人が入れ墨をしたならば、やくざの道に入った極道者という印という印象があるのです。それでも、私は、心の中に、極真精神と入れ墨をして見てはどうかと思うのです。
 いくら私が馬鹿でも、微笑みを浮かべていれば、人生は良くなるとは思わないのです。しかし、努力して明るく振る舞うようにすれば、肉体が精神を乗せやすくするのではないかと思うのです。とにかく、わたしは、人生を充実させて生きるという奇跡を、身も持って体験しているのです。
 ここ数年、私は健康的に人生をエンジョイしています。それは、ひとえに、仲間を信頼するという入れ墨を心の中にしているからなのです。ヨーロッパの道場生や、イスラムの信徒のように、肉体には墨は入れていませんが、心に、人を信頼しなければ人生は台無しになると確信し、刻んでいる訳なのです。
 もちろん、盲目的に人生を歩むことはしませんが、事実を把握し、分析し、決断そして実行をといったプロセスを取るという事も忘れません。分かりきったことかもしれませんが、人を信頼して初めて、このプロセスを踏むことができるのです。私の心の入れ墨は、いつまでも消えそうにもありません。
 それで、いつの間にか、極真歴40年なのです。驚きです。夏の夜空に、七夕の前夜祭の花火が広瀬川から打ち上げられています。花火のようにパット明るく生きられる人生は、このようにして選択できたのかもしれないのです。実にありがたい事であると自分に言い聞かせているのです。