2012年8月1日(八段語録1761)

今日喜ぼう


 日差しの強い日々が続いています。心も燃やそうと思うのです。オリンピックで夜中までつき合わされます。それでも、朝は早くから修業は続くのです。何故、修行を続けるのかと、自分に自問自答するのです。答えはいくつも返ってくるのですが、それでも、今日は、人生に逃避しないために朝の修業をしていると勝手に結論つけているのです。
 私は誰もが認める夢見るロマンチストであると自称するのです。それゆえ、天空にそびえる理想郷を夢見ているのも本当の事なのです。そのくせ、現実を顧みないという事にもなります。ある意味で愚かな自分であると反省もするのです。それでも人生の落伍者のような過ちはしないようにと心掛けているのです。
 たいがい、知り合いは、私に対して、奇妙にも、小さな子供のときは、ほめ言葉でしょうが、「大きくなったらどんなに立派な人になるやもしれないね」と言ってくれたものです。でも確かに、二十歳を過ぎて大きくなった私に対して、今度は「結婚したらいいね」という風に変わり、結婚すると、次に子供ができたらというふうに、変わってきたのです。そして、今は孫ができたらいいねというふうに認識を変えて表現してくれるのです。実にありがたい事であると思うのです。
 ところで、今振り返ると、言ってくれた人には感謝するのですが、私としては、言ってくれた人に対して、期待されるような歩みはしていないような気がします。さらに、自分の過ぎ去りし日々を光景に浮かべると、何か取り逃がして生きてきたのではないかと思えてならないのです。 
 それで、遅ればせながら、今を一生懸命に生きようと思うのです。つまり慌てて、一生懸命にするふりをしているのです。生きることの中に生きがいを持とうとしているのです。
その証拠に、十数年前から、自叙伝を書いているではありませんか!
私の母校の学院大学のちょっとしたフロアに書いてある文字を見つけたのです。
聖書の詩編第百十八編でした。その言葉で目覚めさせられました。
 今日こそ主の御業の日
 今日を喜び祝い、喜び踊ろう