2012年7月28日(八段語録1757)
帰国の途について
これからの極真会館の未来をどのようにしようか、将来にどのような影響を与えていこうか等、様々な事を考えながら、飛行機からアジアを眼下に眺めながら模索しているのでした。成田に着いてからも、色々考えを練りながら、思い悩み、手塚グループの今後の歩みはどのようにすべきか、考えれば考えるほど、頭を抱えてしまうのです。それも楽しみにと思い、その気持ちを大事にして座席で考え続けているのでした。
そうしているうちに、今自分がしなければならない現実的な事に着目しなければならないと感じるのでした。これからの手塚グループの発展に何ができるかという事は、当然のことながら、明日何をすべきか、やらなければならない手順を上げている自分がありました。
確かに、過去を振り返ると、あらゆる思い出が頭の中を去来します。未来に対する夢も多く持ちます。それでも、日本に到着する自分がやるべきことは何なのかと実際の事に頭を使った方が落ち着くように思えたのです。
私という存在は、二度とこの地上に存在しないし、船に例えるならば豪華客船であることは間違いないのです。素晴らしい有機体であり、60年近い航海をし続けてきたのです。後、どの位の航海が残っているのか分かりませんが、安全確実な航海にしたいと思うのです。その為に、自分自身を調節するところから始めるべきであると考えていたのでした。
ちょっと自分を振り返って、極真を守るためとか、家族を守るためとか、老後に備えてとか、貯蓄をしなければならないかとか、何かを準備しなければならないのではないかと、確かなような事を頭に巡らせるのです。確かにその通りなのです。いずれにせよ、明日の事を配慮し、細心の注意を払って計画し、準備すべきなのでしょう。
それが、私にとって、緊張と神経衰弱に陥ってしまう懸念があるという事を意識したのです。確かに、理論的で建設的な計画をしているつもりですが、陥る方向はちょっと前者になってしまうのです。それで、今日の結論は、ずっと昔、人々が苦しい暮らしをしている石ころだらけの土地を一人の哲人が放浪して、言った言葉があります。丘の上で群衆に囲まれた彼は、「それゆえ、明日の事は考えるな。明日の事は明日自身が考えるだろう。一日の苦労はその一日で十分だ」と話したのです。取りも直さず、イエスキリストの言葉なのです。
この言葉に、反逆するかのように生活しているのが自分であると思えて、その事ゆえに、まず、自分自身の整理から始めようと思ったのでした。実のところ、このキリストの言葉に反対するような人生を送っていると思うのです。それでも、自分は自分と言い聞かせながら、日本の地を踏んだのでした。