2012年7月20日(八段語録1749)

書きつづける意味(4)


 私が書きつづける理由は、空手道という技術的な指導の土台の上に、様々な古来の根本原理を再述して、解説を加えながら、道場生に分かり易く、道場生の精神修行を積んだ土台の上で、目覚めてもらい、これからの極真を実行するように促すことなのです。
 別に何か新しい事を学ぶのではないのです。敢えて言うならば、すでに知っていることが殆どではないかと思うのです。今私が専門学校で学んでいる、生理学とか解剖学とはまるっきり違うのです。けれども、普通あまり実行されていないことが多く出てくるのではないかと思うのです。そして、当たり前なのですが、結構厳しいのです。
 いずれにしても、空手道と同じく、何も真新しい事を学ぶのではないのです。また必要ないのです。肉体がすでに存在しているように、心身共に成長させていく事だけなのです。完全な生活を送るために、すでに、キリストの山上の垂訓やあらゆる黄金律を知っている訳です。只、私達は、無知ではなく、行為として行っていないだけなのです。それを、空手道の修業と共に成長させようとするのです。
 もう一度、最初から、私の過去ログを学んで欲しいと思うのです。必ず、人生の行き詰まりで、解答となる箇所があるはずです。道場生は、おそらく、成長する事を願っているのであり、そのための修練を求めているのです。日々の肉体の練磨と、この私の先駆的文章の歩みの中で、答えが見つかるのではないかと思うのです。空手道は間違いなく、人生を楽しむための新しい活力と新しい啓示とが得られるはずです。
 ただ単に、長々と書きつづけたのではないのです。生命が宿っているのです。そこに、人生の感動や躍動をみると思うのです。空手道の神髄を学ぼうと思うならば、大山総裁と共に極真の道を歩んだ生き残りの、先輩の話に耳を傾けるべきだと思うのです。ここに表現されている内容は、一つの絶対条件、どんな規則や手段より重要な事があります。この基本的な要件を身に付けない限り、いくら何かをしても無駄になります。それは、「道場で真剣に学ぼうとする向学心」なのです。