2012年7月17日(八段語録1746)
書きつづける意味
道場の運営について、誰も細かく書いた書籍を今まで見たことは無いのです。確かに技術書は沢山書かれてきたのですが、唯それだけなのです。私の場合、道場の精神を書きつづけて久しいのです。文書にしているので、弟子たちが、それに肉付けして、指導している面もあるのです。
もっぱら、道場生の為に書きつづけて、その時その時の気持ちをぶつけて、10年以上の歳月が流れたのです。A4の用紙で1700ページを超える大作になってしまいました。他にも、経済学や、精神論のテキスト四冊を書いていますので、誰も知る人がいない段階から、それなりの評価も得るようになってきたのです。
それだから、このような文章ではあっても、道場生に与える影響は大きいものだと悟るようになっているのです。私が存命していることで、道場生をみると、その反響に度肝を抜かれるような気持ちにもなるのです。歳が経つにしたがって分かったことは、このような文章であっても、道場生にとっては、極真空手の未知の世界の事であり、ある意味で道程になるのだと思うに至った訳です。
そして、道場生との話し合いの中で、色々な悩みの解決がなされたという話まで出てくるのです。確かに赤裸々に家庭の話などをしているので、大分参考になるようです。そして、道場で私の子供が成長してきたのであり、先輩としての手本になるというのです。
宮城県本部の道場生をみると、上級管理者、税理士、教師や数々の指導的ポストについている人が多いのです。そのような人達が、極真精神を背負って、必要な内容を、極真精神から学んでいるのです。そして、悩みを解消するための、テキストとしても、このような文章は「為」になるというのです。もちろん.OL、学生、主婦たちもいて、彼女たちも同様な事を話してくれるのです。空手道という技術を土台として、極真精神とは何ぞやとなると、私の文章が参考になるのです。
いうまでもなく、私が書いていることは、人生を歩んでみて、解消していく為に必要なテキストになっているのです。以外に、人生の壁にぶつかって、解決しようにも、余りにも書籍が少ないのです。そのような意味では、赤裸々な、私のテキストが為になるという事も事実らしいのです。