2012年7月11日(八段語録1740)

小テスト三日目


 自己の向上を心掛けて、三日目の小テストを受けました。暗記という能力の衰退を感じるのです。それでも、取り組みを止めようなどとは思わない自分がいるから不思議です。試験を受けた結果、不機嫌になったり、自制心を失ったりもするのですが、それでも挑戦しようと思うのですから、めでたい自分であると思うのです。
 愛情とは別の世界なので、やかましいと思うのですが、私に試験を見通せる力もなければ、ありとあらゆる知性に通じている訳でもないと思うのです。今でも、私は不幸を退けて幸福を追い求めようとしている求道者であると思うのです。考えてみれば、自分の嫌いなことはことごとく、拒否し続けてきた人生でもあるのです。
 若かりし頃、空手道という修業の道を極めようと、自己管理と肉体の練磨に身を任せていたのですが、生活ができなければ、何もならないので、好きでもない物販や営業の運営を余儀なくせざるを得なかったのです。今でもそうなのですが、販売の仕事をしながら、販売の事に関しては、人任せであったのです。また、熱心に関心すら持とうともしなかったのでした。
 私は、自分がしていた仕事は、どちらかというならば、軽視していたので、池袋の安い賃貸マンションで十分だったのです。いまだに思い出すのは、ネクタイを取り出すと、ゴキブリが四方八方に散らばっていくような光景です。生活はどうでも、修行の道を重ねたいという思いでいっぱいでした。それも、知的な修業でははく、肉体を中心とした極真空手道という事と精神世界の探求ということなのでした。
 ある意味で、私は、修行を原点としていたようです。悩むことに敢えて挑戦し、苦痛と闘争心に起因するようなモチベーションで過ごし続けたのでした。そして、夜には孤独な部屋に戻ってきたというのが現実なのです。私が、極真空手道を追求していく事は、闘争心を前面に押し出しての事でした。青春の夢は、遠く未来を見ていたのでした。そして、今、肉体の限界を感じている自分が、未だ能力的に活用できる頭脳で、挑戦しているのです。余り、器用ではない自分の人生に対する挑戦なのです