2012年7月6日(八段語録1735)
朝修行
チラシを配布する修業は続くのです。自分の自己管理と気持ちの安定が第一の目標であり、二番目が会員拡大なのです。多々黙々とチラシを配布するだけではないのです。朝起きをして、犬を散歩に連れている人、新聞配達の人、ゴミ出しをする人、様々な人に出会ったら、「おはようございます」とあいさつをするのです。そうすると、挨拶が返ってきます。そのたびごとに気持ち良くなるのです。元でもなく、自分を幸せにしてくれる仕方を朝に実践しているのです。これがたわいもない挨拶なのです。
挨拶をすることが目的となることもあります。自分から積極的に挨拶をすると,挨拶された方も、喜んで挨拶をしてくれるのです。私の心は実に豊かになるのです。一瞬のときを捉えて挨拶するのですが、その挨拶した記憶は永遠に心の中に残るのです。私は、このような気持になるから、朝の修業も楽しくなるのだと思うのです。このことが私にとって病み付きになっているようです。
自分の心がどのような時でも、挨拶は、私を豊かにしてくれるのです。自分自身に幸福を呼ぶ第一歩のような気がするのです。そして、その日の一日を充実感あるものとして過ごす事ができるようです。人生ですから、色々なことがあります。それでも、疲れた時には休養になりますし、失意の時には光明となるのです。このような挨拶が、悩める時には、自然の恵みであり、解毒剤にもなるのです。
もちろん、見知らぬ人に挨拶をするわけですから、勇気が少し入ります。それでも、元気にあいさつをすると、コダマのように帰ってくるのです。帰ってきた挨拶を噛みしめると、値打ちがあるように思うのです。そのような修業が朝待ち受けていると思うと、やはり止められないようです。そして、多くの人に挨拶をしようと、当たり前の目標を立てている訳です。そのような朝の修業は、私の生きがいとなっているのです。そして、苦労を伴うものですから、誰からも奪われる心配もないのも、朝の修業という事になります。