2012年7月5日(八段語録1734)

求道


 道場生に何を教えるかというならば、技術的なことは、当然ですが、自分の人生の生き様を指導するのです。空手道を求めている訳ですので、技術は入口として、その本質は指導者にあるという事を自覚しなければならないのです。技術的なことは、ささっと指導して、やるべきことをしっかり教えたら、道場生の求めに応じて、回答できる指導者とならなければならないのです。
 特に子供達は忙しいのです。端的に夢と希望を持たせ、その夢を追い求めさせるような指導ができなければならないと思うのです。そのような意味では、話をするよりは、道場生から話を聞く方が余程、道場生の為になるかもしれないのです。
 話を聞く場合、自分が何者であるかという事が問われるわけです。自己管理も問題。将来の夢、様々あると思うのですが、最低限、道場生の目標とかモデルとなっていなければならないのです。指導者は、道場生の事ばかり話題になります。それは、将来の人類を道場生に託すような気持ちなのです。そのような意味でも、自分の襟を正さなければならないのです。
 ところで、指導者になったばかりの人もいます。そのような内容など指導員としては、無いと思うのでしょうが、自分の生き様に誇りを持つ以外にないのです。誰も干渉は出来ません。それもちょっと難しいとするならば、道場生と笑顔で接する事が、より安心感が生まれるのではないかと思うのです。笑顔で指導してもらうと、それだけでも嬉しいものです。
 さて、私も忙しくしているのです。「社会を明るくする運動」では、仙台駅前のフェステバルから、地域の活動まで、7月が、強化月間でありますから、忙しく奉仕活動をしています。そのような日々も、本質を忘れないように、求道者としての道を邁進しようとするのです。