2012年7月4日(八段語録1733)

礼儀


 極真空手で学んだことは、礼儀でした。多くの人が余り大切にしないようですが、この礼節を徹底的に、律法的にしつけられたのでした。極真では、師範や先輩の話を聞くときは、熱心に耳を傾けるという所から指導を受けたのです。そして、最後に必ず押忍なのです。退屈がっていたり,[分かっている]という顔を見せたりするものでしたら、後のお仕置きが大変なものでした。
 もちろん、先輩の話に口など挟んだら、大変な事になりました。例え、先輩から愚痴を聞かされたとしても、全部聞かなければならなかったのです。もし、口など挟んだりしたものでしたら、先輩の話は、聞くに足らないものなのかと受け取られてしまって、組手の時間が怖かった思い出があるのです。
 ましてや、先輩の名前を忘れるようなことがあったら、後で呼び出されていたのでした。そのような意味では、いつも先輩に気を使ったものです。このような話は、今の時代に合わないじゃないかと思われるのではと思われがちですが、私としては、この律法的な指導が、今の自分を形成していると思うのです。そのような意味では、感謝しているのです。
 当然、師範や先輩が間違っている事もしばしばありました。それで、私の取った態度は、恐る恐る、私はこう思うのですが、もし間違っていましたらご指導お願いしますという態度でした。帯も下でしたから、師範や先輩が偉いという観念が働いていたのでした。決して、先輩を見下げた態度などできるはずがないのです。先輩は組手は強すぎたこともあるのです。
 当然、後輩ですから、先輩から多くの指導を受けたのです。そして素直に聞いて、空手修行の糧にしたのでした。そんな事を思い出しながら、礼儀の大切さを書き記しているのです。決して、過去のやり方が正しいとは思いませんが、そのような訓練を受けたことは、私にとって、人生を渡る処世術になったように思うのです。
 もちろん、今の道場生に要求することは無いのですが、それでも、礼儀について、考えてもらえれば、ありがたいと思いながら、書き記しているのです。