2012年7月3日(八段語録1732)

専門用語


 医学用語を学ぶということは、外国語を学ぶに等しく感じるのは年齢だけではないような気がします。思えば、40歳の時、文武両道を主張して、学問を始めました。純粋に勉強をしようと思ったのでした。40歳で学生とう前例は余りないという事でした。あっても、定年を退職した人が、勉強の時間を持つという事でした。私の場合、働き盛りの真っただ中という事になります。それも、子供達が、乳幼児でしたから、気でも狂ったかのように思われたのでした。それでも大学・大学院と学問の道を極めようと日々を歩んだものです。
 この時の勉強は、社会の研究にテーマを置きました。それ故、自分以外の存在が対象という事になりました。政治であり、経済であり、私を取り巻く環境について学んだことになるのです。その事が、文武両道の道であると思ったのでした。40歳で、空手道における選手として現役を続行することは、難しい年齢であると思えていたので、ちょうど、新たな冒険として、奮い立ったものです。結局、八年間勉強に費やしたことになるのです。
 ところが、今、また新たなる挑戦を始めているのです。文武両道という観点は変わりがないのですが、自分の身体を含めて、人体についての学びを、始めているのです。つまり、文武の文が医療従事者として学びを進めているという事なのです。以前に学んだ大学での知識は全く関係がないのです。全て新たなる概念の用語であり、今まで考えてもいなかった世界が広がってきているのです。
 もちろん、文武両道という世界でいうならば、「殺法」と「活法」という事になるのです。殺法は今まで修業してきた極真空手の技であり、活法は、傷ついて人への手当てであり、蘇生術ということになるのです。それはどうあれ、私の生き方が真心を持って人を助ける道を究明していきたいということですから、その手段が、このような、医療関係である「柔道整復師」への挑戦ということになるのです。夢にも思わなかった道ですが、天より示されたような気がするのです。
 そのような意味で、今学んでいる内容は、外国語のような響きがあるのです。全く言葉は日本語ですが、何をどのように指すかは、授業を聞かなければ分からないのです。そのような意味では、また新たなる新鮮な挑戦が始まっているのです。人を救済する手段として、柔道整復師としての学問は、文武両道の文の内容ですし、多くの人の為に役立つのではないかと確信もしているのです。