2012年7月2日(八段語録1731)

長老


 人生において、ここまでの年齢を重ねると、私に対して「長老」という表現がぴったりになります。長年の経験が物を言うのです。その中で一番大事に思う事は、どんなことであれ、どんな立場からであれ、相手が不快な事を口走っても嫌がらずに、むしろ、その言葉ゆえに、積極的に取り上げて、少しでも相手の意見を尊重していこうという事を示すことであると、思うようになっているのです。
 どうしてそのように思うかでありますが、19人の教室の人間関係は、実に密になっているのです。このメンバーで一年生を出発したのですから、最後の国家試験まで、誰も落伍することなく、三年の歳月を全うしたいものであると考えるからなのです。それで、わたしは、礼儀正しく、腹の立てない長老を目指そうとしている訳です。
 メンバーと友人になって、共に考えを同調させるもっとも確実な方法は、「長老」になるという事なのです。どんな人の意見も十分に取り入れて、取り上げ、クラスメイトに自尊心を満足させてあげることなのです。それができるのが「長老」の私であると自覚するようになっているのです。
 一大決心をして、国家資格を取りに、この学校に通う人達です。気持ちのレベルは高いのです。つまり、三年間の知識獲得修行に出航したのです。中には色々な人がいます。本人が気付かなくても、いつも人を悪く言う拡大鏡だけを持ち歩いているし、のぞきまわっているのです。そんな存在を心から改心させ、自己中心主義からの脱却を図らせるのも「長老」の役割であると思うのです。
 扱いにくい相手程、自分を優秀に見せようと、躍起になっていることを念頭に置くことのようです。そしてその観点から付き合ってみると、自然に角が取れて親しくなるものです。そして、全員を友人にするつもりなのです。友人の事はいつも心に懸けるようになるのです。もう既に友人ですから、口で言い尽くせない好意を示すことになるのです。その人が、皆に良い印象とみられるようになれば、更なる自尊心がいい方向に高まってくるのではないかと思うのです。