2012年6月30日(八段語録1729)
今年の上半期終了
人生、目標もなく、夢も持たずに過ごすとするならば、家畜と同じになってしまうのです。何かに果敢に挑戦し、息をもつけないほどの興奮の中に、達成感を獲得したいと思うのは私ばかりでしょうか。私はあくまでも、武士道を貫く覚悟なのです。
今年も色々なことがありました。上半期を分析しても、公的団体の移行に努力を重ねたのですが、最後は中心者の心で、前へ進めなくなってしまいました。少なくとも、個人の采配で物事を決めていく組織にはしたくなくて、色々な分野で協調できるような人材活用ができる総合的なマネジメントを展開していきたいと思ったのです。それには法人化の道が一番であると思うのです。
結局、組織的な考えを持って、責任分担を中心に配置するような組織を目指した私にとって、ちょっと保留という事なのです。保留と言っても、宮城県本部においては、果敢に推し進めて、責任意識を持った人で運営をしていくという展開ができたのでした。この状況を全国、全世界に広げていけばいいという所まで組織化したのです。
そのような意味では、このグループも私の時代から法人化の道を究めていくという事になるのです。そのような意味では、個人商店からの脱却が私の役割である自覚するのです。収益構造も単純な方式ではなく、多角的に進めようとしているのです。入会金、月謝、審査料、空手着、物品等、人材配置にしっかりと手当てをして、スタッフが活動しやすい経済体制を構築することが意味ある内容になってくるのです。
そこで、このグループが私の時代になる前に、やっておかなければならないことが、将来指導者になろうとする青年達の、人材の確保と経済的安定という事です。ちょうど息子が、仙台接骨専門学校で勉強を始めて数年になります。この事に着目して、息子と一緒に接骨院を開くことができれば、午前中、午後と接骨院を運営して、夕方から空手指導に入るという事ができる体制になると踏んだのです。
夢や理想だけでは、生活ができないのです。ある程度の生活力が必要になってきます。空手は武道ですから、この武道精神を活かして、稽古を行って道を究め、その延長として人を活かす「活法」を学ぶとしたならば、武人として鬼に金棒という事になります。
この方式は、かつて柔道家に見られたことなのです。その伝統を継承しようとした試みが、私の4月からの専門学校へ通うという、行動という事になったのでした。
私の生き様は、あくまでも武道人として生きるという事なのです。人を殺すという殺法を学び、さらに、人を活かす活法を学ぶという事なのです。武士として道を究めるのが、次の世代を担う私であるという事なのです。