2012年6月28日(八段語録1727)

生涯現役


 人生終盤であるという事を自覚はしているのですが、進歩前進を目指そうとする心があるのです。今の自分ではいけないという焦燥感にも駆られるのです。どうせ一度しかない人生なのです。完全燃焼すべきであると思うのです。進歩前進を目指そうとする人生を原点としているのに他ならないのです。
 お袋が、良く口にする言葉がありました。親父と結婚した動機の一つに、「姑が居ない家に嫁ごうとした」と言うのです。由緒ある金森家のお嬢様という事でしたので、どの家でも引手数多だったそうです。10人兄妹の5番目だった母は言うのです。どの兄妹もふくよかな農家へ嫁いでいったのです。そして今、各家に嫁いだ姉妹たちは、アパートを建てたり、農地を転用したりして、事業的にも成功を重ねているのです。
 そんな中で、お袋は父親と堅実な生き方をしたのでした。何もない裸一貫の家から、財産を築き上げて、今の森家の土台を作ってしまったのです。ここに、お袋の性格が表れているのです。姑に指図されるのは絶対にいやであるというのです。この性格を私は直観で受け継いでいると感じるのも無理なからぬことです。
 そのような意識があったので、決して人に仕えるようなサラリーマンは向いていないと判断したのでした。事業を起こしたのも、十代後半でした。自然食品を開拓したいと思ったのです。当然成功には至らず、借金が膨らんでしまいました。それでも、次から次へと事業に手を出して、最終的には、自らの修業をベースとした極真会館の運営に携わっているのです。
 今まで社会経験をして、実感することは、衝動に訴えて行動した場合、多くの反感をかき立てて、目的は中途半端に終わってしまったのです。それでも衝動は大切なのです。ただ、道徳的立場から、理性に訴えてこそ、事業は勝利をもたらしたのです。極真空手の修業は続くのです。それは、生涯現役でありたいと願う事と、新たな挑戦をしたいという事なのです。その原点が、武道精神であり、道徳的な自分の姿勢なのです。
 人を押しのけて歩む人生など考えることはできないのです。ただ、誰にも指図されたくないという気持ちだけは強いようです。そのような生き方をする限り、まだまだお迎えは来ないと信じているのです。