2012年6月26日(八段語録1725)

経験を積む


 イソップ物語にもあるように、ポイントを押さえないで、一直線にただ、まっしぐらという、生き方が、今までの人生のようでした。本当に誰もが、「がむしゃらに突き進んでいますねと」言います。目的意識を持って、突き進んでいる内に、何かに到達するという生き方のようでした。ちょうど北風が旅人のコートを脱がそうと吹き荒れたのと一緒のようです。
 ところで、最近は、壺を得ることができるようになっているのです。労力は少なくとも結果が付いて来るような気がするのです。理由は今までの人生経験にあるようです。経験は、力を発揮します。この場合、どのようにしたらいいのかを身体全体で感じているようで、的確な方法を見つけようとするのです。ちょうど旅人のコートを脱がした太陽のようです。私はこのような発想を「達観モード」と名付けているのです。
 確かに、北風と太陽がいつも私に同居していることは間違いないのですが、自分の方が強いと言い張って、すぐに突入モードになるのも事実なのです。青春時代は、この突入モードが「達観モード」よりも、常に争って勝っていたわけです。何か課題が生まれると、「突入モード」はすぐさま臨戦態勢を敷いて、この問題を解決する為に早急な決着を望んだものです。問題を経験上から「達観モード」で対応することなく、すぐさま直線的に取り組んだわけなのです。
 ところが、今の自分は、早急にやることも必要だが、今までの経験に照らし合わせて何が最も効果的であるかを検討すべきであるとブレーキをかける訳です。そして、すぐさまやろうとする「突入モード」に対して、「君が先にやるのかね」と、問い正す余裕さえあるのです。そして、この余裕は少し後ろに引いて、様子を伺うようなのです。これが私の「達観モード」のようです。
 このような「達観モード」のお蔭で、温かい心で全力を尽くすというような、人々を照らして外套を脱がしてしまうという事も出来るようになったのです。周りの人を明るくし、そして目的も達成してしまうという芸当が生まれたのは、今までの人生の経験から来るのかもしれないのです。そのような事を考えながら今日も過ごしていました。