2012年6月24日(八段語録1723)
妻への愛は人生の修業から
私の戒めは妻と喧嘩をしないという鉄則なのです。最終的には、妻の判断を穏やかに聞くのです。このような決意は、並大抵の努力ではできないのです。そして、最終的には、穏やかな表情で会話をするのです。極真空手の修業を何のためにしてきたかという事の答えの一つには、決して妻と喧嘩はしないという決意なのです。妻にとっては、朗らかな顔をして、晴天と同じぐらいの心でいると、彼女は、うれしさを感じるものだと思うのです。
夫婦で、人生を歩んできて、最終的に自分の過ちを認めていこうという気持ちを大切にしているのです。九分九厘、私が正しくても、その一厘の過ちの為に、心を砕くのです。このような生き方は、逞しい精神力を持たなければ果たせないのです。あらゆる事態を解決していく為の、最良の方法なのです。素直に自分の落ち度を妻の為に探すのです。
家庭の中で、妻を実権のあるものとして、家庭の中心に置くのです。そうしなければ、我家は立ちいかなくなるばかりでなく、不調和音で、家庭が面白くないのです。その為に妻に、最大の権限を払ってもらうように心がけるのです。そればかりでなく、出来るだけ口出しをしないのです。もちろん、家庭の中で一人ひとりに心を砕くことを忘れてはならないと思っております。魚の刺身のように新鮮で、いつ腐るか分からなくならないように最大の注意を払うのです。
それは、家族に対して、忠実であるという事の他に何ものにでもないのです。そして、夫として、主人として、家族に重宝がられるように心がけるべきであると思うのです。そして、ふんぞり返ることなく、礼儀正しい人物像を求めるべきなのです。
本当に、家族はかけがえのない存在なのです。それだからこそ、このような思考回路を持とうと決意しているのです。その為にも、空手道の修業は続くのです。