2012年6月23日(八段語録1722)

夫として


 とても身近な存在は、言うまでもなく千順さんであります。いつも顔を合わせて、話をするのです。時には誤った観点から千順さんが、怒りまくることもしばしばあります。バツが悪いことに、車の運転中に怒りの電話が掛ってくるのです。時として、隣に親しき人も乗っているのです。もちろんハンズフリーです。それだからこそ、車の中に千順さんの怒りが充満するわけです。私としては、隣に誰かが乗っているからという事も、話すこともできない剣幕に押され気味になるわけです。
 千順さんは、間違っているかもしれないと思うのですが、私自身夫として、千順さんが間違っているという事は決して言わないのです。妻を非難し、過ちを指摘しても始まらないと思うのです。私としては、避難する事はいつでもできると思っているからなのです。 
 このような姿勢は、出会った時から貫いているのです。非難するような関係を持ったこともないのです。理由は、出会った時から人目惚れだからという事なのです。愛情を今も抱いている人に、間違いを指摘することはできないのです。それほど今でも大切なのです。もう既に三十数余年の年月が過ぎても、大切に思う心は変わらないのです。
 当然夫としての、愛情から気持ちは、出発しますし、千順さんが何故怒るのかという事を理解しようと心がける訳なのです。電話で捲し立てる言葉には、妻の考えがあるし、それからの行動には、間違いなく理由があるのです。その理由を探し出す気持ちになるのです。そうしているうちに、妻の行動や、言葉までの鍵を握ることもできてしまう訳です。そうしているうちに、本当の妻の身になっている自分に気が付くわけなのです。
 忍耐して、夫として妻の心を探し求めるのには、相当なエネルギーを費やすのです。それでも、費やしても、なお余りあるエネルギーが満ち溢れてくるから不思議でならないのです。どんな夫婦での、色々な思い出があるのです。私の場合、満ち足りた妻との人生に感謝の何ものでもないのです。そのような心を、今日も味わっているのです。それが、幸せの連続であるのかのようです。