2012年6月20日(八段語録1719)
親切に人を見守る
この歳になって、過去の栄光にこだわってはいけないという気持ちが強くなります。どうしても、昔話が多くなりますし、同窓会では、そんな話に花が咲きます。今の私の気持ちを整理してみても、過去を振り返るというところまで余裕がないのです。前へ向いて行くのみです。
今、若い娘さんを預かっています。とても元気なのですが、感情が全て現れて、周りの配慮が無ければ押し倒されてしまう性格のようです。いつも中途挫折のようです。しっかり観察すると、浮き沈みが多く、多感多情という所なのです。そのような娘さんの将来を思うと心配になるのですが、今、私の取るべき態度は、性格を変えようと説教することではなく、優しい言葉をかけ続けてあげることのようです。
私は、その娘さんと親しくなるところまで行かないのですが、親のように接する事を心掛けています。もちろん、親しくならないからと言って見くびりもしません。いっそう、彼女の将来の為に、何かをしてあげようと思うだけなのです。私の心の優しさは、彼女をみると、あらゆる非常識な所も修正することなく、親切にすることであると思っているのです。
ところで、この娘さんを観察すると、良い性格もにじみ出るのですが、全体の間で浮いてしまって、ある意味ですぐに凹ませられる状況に立つようです。そんな彼女を陰ながら助けずに居られないのが、私なのかもしれないのです。気持ちの中で、親切にすることによってうれしくもなります。その嬉しさが喜びになっているのも事実です。もちろん、修正してあげようという気持ちにもなりますが、ぐっと我慢です。
彼女が克服することができないような障害を克服して、さらにいっそう大きな目標にチャレンジできるとしたならば、うれしさは倍増します。年甲斐もなく、こんな楽しみをしています。
私の人生にも余裕が出てきているのだと思うのです。誰かの為に心を砕くという事が大切であると思えるのです。もし、ちょっと幸せ感を感じたいという人がいたならば、ほんの一瞬でも胸に手を当てて考えてほしいものです。心からにじみ出る奉仕の心は、足元に生える雑草や朝日に煌くアジサイの花のように、無数に心を和ましてくれるはずです。