2012年6月14日(八段語録1713)

定近の祖母の死(利貞尼)


 1536年(天文五年)8月3日に斎藤利国の妻、利貞尼が亡くなるのです。陰ひなたと定近を支えてくれた祖母の死を迎えるのです。支えてくれる人物が亡くなると、当然家族や家臣は不安に思うものです。金森を名乗るようになった定近も、その例外ではなく、経済的困窮もさることながら、子供の長近とも意思疎通がうまくいかなくなったというのです。ましてや戦国の世の中です。お互いの思想、技術は、生命のやり取りするような時代でしたので、男親と息子の関係がより難しくなったという事は想像することができるのです。
 特に、真面目で控えめで戦を嫌う定近に、血気盛んな息子が何を考えたかは、想像ができなくないのです。息子もお家再興の為に、この近江の金森に浪人としているという事は重々理解している年頃でしょう。歯がゆい思いをしている時に、息子から「親父殿には、家を興すのが一番じゃないか」とでも言われてしまえば、相当の葛藤が生まれてくるに違いがないのです。
 ところで、大志があっても、自分の境遇の情けなさ、早く家を興したいと思っても、戦国の世の中で途方に暮れる定近であり、利貞尼の死を境に、より困窮を余儀なくされるわけですから、葛藤が多くなるに違いないのです。いつの時代でも、女性の協力なくして、大成することは無いようです。その援助が無くなると、今まで受けていた恩恵は失われ、人生の空しささえ感じるのです。
 定近は、利貞尼に、経済的援助はもとより、学問の楽しさ、厳しさを教わったのであり、戦国の世の中で、よきアドバイスを貰いながら、浪人の身でありながらも、力強く感じていたはずなのです。もちろん、寂しさばかり嘆いても仕方がないわけで、人間別れが避けられないものですから、その事実をしっかり受け止めて、一族一緒にこれから、本来の大志に向かって充実した歩みをしようと心に誓ったに相違ないのです。
 私の人生を振り返ってみて、佐藤智子さんのように、大志を指示してくれる女性は存在するものです。その言葉が精神的バックボーンとなって、これまでの人生を過ごしてきたことを思うと、母子協助というか、その言葉が人生を大いなるものに変えてしまう事になるのです。私の妻も、佐藤智子さんの協力を得て、女性としての生き方を学んだようです。そのような関係のある人と、生涯共にできることは、幸せであるという事なのだと思うのです。
 定近の場合、そのような女性を失ったのですから、自立する以外になくなる訳です。そして、重大な決意をするに至るのは想像ができるところなのです。そして、法泉寺に今もなお利貞尼の位牌が安置されているのです。その牌には、五摂家一条兼良の娘利貞尼82歳没と記され、大本山妙心寺中興の祖と記してあるのです。