2017年12月31日(八段語録3173)
極真会館手塚グループ 第二章 極真精神の究極
八 心得


今年も、武士道精神で貫き続けた日々でした。
極真空手を通じて、武士道を学んでいるという自覚です。
どのように、生涯を歩み続けるかという事ですが、引退はないのです。
つまり、定年退職は決してあり得ないのです。

この武士道精神は、私を含めてこのグループに携わる道場生、全てに当てはまるのです。
生命が終わるまで、誰も現役を終了することはないのです。
生涯現役を貫くという事が前提ということが、極真手塚グループのモットーなのです。
各位という立場が変わるだけです。つまり、兄弟姉妹から夫婦そして父母・祖父母になるだけです。

人生という事を考えると、生きているわけですから役割はあるのです。
誰も不必要な人材はいないという事です。
それだけに、全道場生が、どんなに年齢を重ねようが現役なのです。
道場を運営しているスタッフに対しても、退職は決して許さないのです。

手塚会長は、心臓が止まるまで現役を続けたのです。
それも、今年の年頭標語を世界に発表して、意欲満々の中で死を迎えられたのです。
その各位の立場は、親でもあり、お爺さんでもあったわけです。
このような姿勢は、私達に残してくれた武道精神に生きるものとしての生き様なのです。

 さて、今年も大晦日を迎えました。
当たり前に、大掃除をします。
「年越しそば」を家族で楽しむのです。
今年の良かったことや反省も楽しい会話になります。

長男家庭に、次男の乙燈呂(おとひろ)が誕生しました。
長女は、将来を共にしようとする男性との付き合いが始まりました。
次女は、スペインに本社があるブティックの「ザラ」に勤務したのです。
妻の千順さんは、三人の子供たちを育てるために必至で動いていました。

私はというならば、世界拠点を田舎の根白石の別荘に移しました。
その山里に囲まれて、世界と連絡を取るのです。
畑を耕しながら、世界中の道場生に心を配ったのです。
幼少の頃から、母の実家に預けられて、この山里は庭なのです。
私が育った故郷から、仙台市内の道場をはじめ、日本と世界を望むという環境が整ったという事なのです。
我が家に帰るのは、妻との会話を楽しむことがメインなのです。
本当に、たわいもない会話なのですが、心は和みます。
出会ってから妻には苦労をさせ続けているのです。
それだけに、来年いっぱいで、下宿業を閉めようと提案しているのです。

 ところで、私自身は、武士道精神をもって人生を歩んだものですからハチャメチャです。
肉体は限界まで鍛えるというのが私の生き方になり、極真の伝統でしたので、三十四歳まで現役で続けたのです。
それだけはなく、やると決めたからには、何でも究めようとするのです。
最近まで、四五時間睡眠で、全力投入の日々でした。

誰も賛同してくれない道を通ってきました。
当然、親も反対する道でした。
四十歳になって、大学に入学するのです。
それから、大学院を四年間も通って、研究に専念するのです。

妻をはじめ、両親も呆れていました。
そして、学問とは関係のない極真の師範になるのです。
とんでもなく、ハチャメチャなのです。
家に帰る時間は、午前様という事が多かったのです。

あれもこれも、型にははまらない生き方をしてしまったのです。
やると決めたら、まっしぐらに向き合うわけです。
それが正しい道という事にして、気合の入った生き様という事です。
よくも妻に離婚されずに、ここまでと胸を撫でおろしてしまいます。

 そのような事を思い出しながらの大晦日です。
今年も臆病な生き方はしなかったかという事のチェックです。
模範的な武人であったかという事の反省です。
例え目的を果たせなかったとしても、歩みを止めるのは卑怯と心得ているのです。

武士道が教えるところの、精神を身に着けて人生を歩むという気持ちです。
それだけに、どんな艱難辛苦が待ち構えようと、真っ向勝負です。
それも、純粋な心を抱いて忍耐を続けるという事です。
そして、天命を全うしようとするわけです。

大晦日だけに母親と一緒に、紅白を二時間ほど見ていました。
母には全部見るのに、歳を取りすぎという事でしょう。
それだけでなく、若い人が出演する紅白には付いていけないようです。
除夜の鐘を聞くのを三時間残して、休んでしましました。

今年の最後は、娘と娘の友達と一緒に、根白石の田舎で年越しです。
来年は更に忙しくなるだろうと思うのです。
それだけに、神仏の加護を受けながらの日々を送ろうと思うです。
来年に向けて「頑張ろう」と気合を入れるのでした。