2017年12月26日(八段語録3168)
極真会館手塚グループ 第二章 極真精神の究極
四 心身統一


 私の名前が、義道なのです。
「義の道」を行くという事を、運命づけられているという自覚があるのです。
今まで、一つの道を歩んできたのです。
それが、極真の道であったりするのです。

もちろん、色々な道も提示されました。
その色々な道も、全うしようとした人生であったのです。
正しい師であれば、決して裏切ることはしないのです。
心が、その道を行けと命じてくれるわけです。

もちろん、あたかも師の如く振舞って、曲がった企てをした人もいました。
後ろめたい行動を平気で行うような、師のようなふりをした人もいました。
だからと言って、その人を責めようとは思わないのです。
そのような人を、叩き台にして、更なる成長を試みようするのが人生であると決めていたのです。

「義」が私の姓名の真ん中にあるのです。
別にこじつける気はないのですが、人体の真ん中の骨のように思うのです。
骨がしっかり真っすぐに体の中央を通過していなければ、首もしっかり座らないのです。
ましてや、四肢五体も十分な動きができなくて、不自由するという事でしょう。

 さて、当たり前に、人の人体の機能がしっかり果たすには、骨が中心を通っているという事です。
その様に、私の名前の「義」は並び順で名前の中央にあるんです。
この中央の「義」で道を歩んできたことに誇りを持っているのです。
それも、紆余曲折しながら、よくここまで来ることができたと胸を撫でおろします。
それもそのはず、「義」そのものが真っすぐに人生に突き刺さってきたのです。

こうして世間の荒波を超えて世の中に立つことができたのも中央に「義」があったからです。
赤穂浪士の忠臣蔵を映画の映像に表すことなくても、義士は、優れていると評価されたのです。
知識人や学問をするような人よりも、評価は高かったようです。
我が国において、忠臣蔵は心の教育になるし、大切な精神として尊ばれたのです。

この「義」に反して極真空手を修行せずに、何かしら強くなったり、チャンピオンになったりして勘違いする輩が生まれました。
狡猾な策略とか、戦術がまかり通り露骨なまでに偽りがまかり通ってきたのを見てきました。実に嫌なものでした。
それだけに、「義」という心得は、男らしい美徳であり光り輝く宝石の如くなのです。

私自身、自分の人生で賛美を受けることはほとんどなかったのです。
それでも、振り返れば、「義」の道を外さなかったがゆえに、大道を歩んでいるという意識になるのです。
それだけに、「義」を維持するという事は、強い精神力を伴います。
それだけに、心身統一をもって自らを磨き上げるという事も必要なのです。

 この「義」の道を推し進めていくためにも健康で長生きするという事です。
身体は極真ボディで極めるという事を、年齢を重ねても継続しているのです。
それ以上に、心は、無限大に広げる人生にしようとするわけです。
この心を、定着させるボディが最高の状態であり続ける努力が、心身統一という事です。

いくら人格を磨いたかからといっても、肉体が無くなればおしまいです。
現すことができないのですから、幽霊みたいなものです。
私自身の標準形である仮面が現存しているという事は必要な事です。
別に二枚目でなくても良いわけです。
それだけに、生命に対する執着は、誰よりも強いのです。

幽霊では、いくら人格があろうとも、妻に良い恰好はできないのです。
この肉体をもって、妻に見せびらかせようとする気持ちも心の底にあるわけです。
年齢相応に、最高の肉体と人格を感じてもらおうとする日々を持とうとするのです。
そんな理由で、最高の私を時空圏内で妻と共に経験したいという事です。

このボディを磨き上げようとするのは、言うまでもなく振動的衝撃の為です。
言葉だけでは駄目で、面白くもなんともないのです。
ちゃんと面積と容積をもって、触れあうという事ができなければ駄目という事です。
そうでなければ、人生半減してしまいます。

 そのようなわけで、健康を維持して心身統一を願うのです。
つまり、欲望の塊なので、肉体を病気にさせることはできないのです。
思いっきり笑って喜んで、感動をむき出しにするのです。
心だけで感動するという事では、どうしようもないのです。

かつて病気した時に、つまらない心境を味わったのです。
病気の体ではなく、熱いお湯と冷たい水を瞬間に合わせると爆発するように健康な体で味わいたいのです。
そんな刺激が欲しいのです。
その為にも、健全な肉体と精神を維持するという戦いが今も続いているのです。

まだまだ、妻を刺激することが多いはずです。
感覚器官をもって、妻を刺激するのです。
心だけでは満足なんかできるわけはないという事です。
妻との会話は続きます。
また、子供達や孫達とも遊びまわるのです。

確かに問題のある肉体です。
何をするか分からないくらいハチャメチャという事も含めてという事です。
それをコントロールするのが心の分野という事にしているのです。
それだけに、今後も肉体管理を徹底していこうという心構えなのです。