2017年12月25日(八段語録3167)
極真会館手塚グループ 第二章 極真精神の究極

 暴風が吹きつけるクリスマスになりました。
直接に家に風が吹きつけて、大きな轟音と共に家全体を引っ掻き回そうとします。
駐車場に置いてある車が強風に反応して警報音を鳴らしたのです。
びっくりして、警報音を止めるために階段を駆け下りました。

起床して、ストーブに火をつけて、身の回りを整理します。
寒さで、身体の動きは鈍いのです。
それでも、気持ちの中に、自己管理をしっかりして一日を全うしようと願うのです。
根白石の二階から眺める風景は、白鳥が群れをなして田圃の中で休んでいます。

遥々シベリアから南下して、骨休みです。
何千キロと海を渡って、この大地に美しく姿を現しているのです。
誰の目にも白鳥の姿は、輝いて見えるのです。
人生を歩んでいる私自身、白鳥のように耀いているだろうか問うてしまいます。

それだけに、目標をもって、美しく飛び続けて飛来したいものです。
その為にも、肉体を健全に保つという事に力を注ぐし、一生懸命になるのです。
早速、トレーニングに入ると真剣なのです。
突きと蹴りを繰り返し、いつの間にか額に汗が滲んできます。
この稽古は、入門した時から続けることができるですから、継続しているということです。

 さて、この年齢になっても、稽古を続けるのです。
それは、至高の境地で心を維持したいという事であり、最善の位置でありたいと思うからです。
すなわち、最高の輝きをもって、「人と自然」に触れたいという思いからです。
まだ幼い人格的内容であったとしても、よりよい人間関係を築いていきたいのです。

人格を磨き上げて、多くの「人と自然」に出会いたいという事です。
何故に出会いたいかというならば、感動する日々を送りたいという事です。
また、当たり前に私の生き方が道場生に対して、目標でありたいのです。
それだけに、自覚しながら、ウエイトコントロールもするのです。

何事も形から入るという事を意識しているのです。
まだ内容が不十分なので、しっかりとした極真ボデーを維持するのです。
腹が出てはどうしようもないという自覚です。
筋力も衰えないように持久力を保ち、筋肉量を増やそうとするのです。

何を今さら、年齢が六十五歳に近づこうとしているのに無理することないと思うですが、チャレンジはしてしまうのです。
極真の道を歩み続けた習性が、今も品性として残っているという事です。
肉体を磨いてどうするかというと、知性と感情、そして意欲を駆り立てるのです。

 ところで、今日は午後に住宅金融支援機構に面談に行ってきました。
税理士の菅野師範と事務職員の笹さんと一緒でした。
そして、業者の日本住宅の社員ですから、合計四人での面談でした。
担当者は、池田さんという女性の方でした。

もう六十年近く下宿業を行っていて、建物が老朽化しているのです。
さらに追い打ちをかけて、東日本大震災の時には相当傷んだのです。
行政から半壊の認定を受けるほどです。
雨漏り、建物の亀裂が相当な場所にあって、目が当てられないのです。
応急手当として、支援機構から借り入れをして補強したのですが、もう限界という事です。

下宿棟の事とは別に、実際に妻が切り盛りしていて、年齢が六十四歳になろうとしているのです。
今まで、十二分に働いてきました。
これからは、少し余裕をもって貰いたいという夫の気持ちなのです。
それで、今回住宅金融支援を受けるという事です。
妻に対する愛情の表現のつもりです。

融資が通れば、来年の七月には着工の運びとなります。
もちろん、私と息子の二代での返済となります。
この年齢ですから、どれほど生きることができるかという事は「神のみぞ知る」という事です。
それでも、日々の生活を守り抜き、子孫に受け継いでもらおうと思うわけです。

 そのような暴風の中での、クリスマスの忙しいひと時を持ちました。
家に帰れば息子家族は四人で一家団欒です。
また娘達は、友達と楽しいパーティーをしているようです。
私はというならば、夜はアマゾンプライムの映画鑑賞をしようと思うのです。
それでも日々の営みをする中で、愛情の蓄積を願うわけです。

家族を見守るようにするという事は、愛情を分かち合っているように思えるのです。
それだけに、私は人格者であり続けようとするわけです。
心と体を健全にして、家族を見守るように和合しようとするのです。
家族と共に、共通の目的のために日々を送るという幸せを抱いているのです。
私自身、目があり鼻があり口があり、今でも肌で感じることができるのです。
この家族と共に大いに笑うという事ができるのです。
人格の最高基準で、大いなる旅路を歩き続けて思い出に閉まっておこうとするのです。
人格の最高基準は、当然愛情あふれる感性であると思っているのです。

それだけに、生活そのものが目標であり、全ての事情が具体的に感じることができるようにという事です。
日々生活ができるだけの金銭があれば良いと思っているのです。
地位や名誉では、愛情は得られないのです。
それだけに、お爺ちゃんとして家族を見守ろうとするクリスマスの夜なのです。