2017年12月21日(八段語録3165)
極真会館手塚グループ 第二章 極真精神の究極
一 求道者


 宮城県営の施設であるグランディ21のイベント会場へ向かいました。
来年度の年間スケジュールの提出という事でした。
審査会・合宿・大会のメイン会場なのです。
今年度は、インターハイが宮城県会場を中心でしたので、苦慮しながらの対応でした。

来年度は大きなイベントはないので、会場確保は大丈夫と思うのですが不安でした。
そのような気持ちから、北山事務局長一緒にグランディ21まで出かけてきました。
現場担当の職員と面談して、スケジュールを確認いたしました。
決定は二月になるという事でしたが、状況の報告は決定する前の一月に連絡という事です。

途中、息子の聖義から、中川接骨院を来年三月で退職する旨の話をしたという事でした。
接骨院の仕事をするという事ではなく、極真会館で仕事をすることに腹を固めたようです。
今回は、親としての助言は一切することなく、本人が決定したのです。
それだけに、相当な覚悟と自覚をもって、これかの対応をすることを期待するだけです。

中川接骨院での修行は五年に及びました。
修行の道を報酬もなく頑張ったのですからエールを送りたい気持ちです。
そして、息子は極真の道を歩むという事になるのです。
親と同じ求道者の道を進むという事です。
嬉しくもありました。
それでも、楽な道ではないので、心配もするのですが、それでも期待のほうが上回ります。
 
 さて、極真の道は、私にとっては人生そのものでした。
その中で、力強くもあり美しくも輝いた人生でもありました。
この道は、極真会館という世界的基盤を整えたベースを持っているのです。
具体的な極真空手という武道を目指す内容ある実態を取っているのです。

極真の道において、人の道を指し示す道徳的な雰囲気を醸し出していました。
この道を修行してみると、個人としての輝きを増し加えてくれるのです。
原石のままでしたら、何ら光を放つことはないのですが、修行を全うすると世の中を照らすのです。
今思えば、輝ける人生を与えて頂いたことに関しては、修行の賜物という事です。

有段者になるまで、並大抵の努力ではなかった記憶があります。
白帯から黒帯まで、実に十段階の険しい道を究めてきたのです。
千人入門する中で、一人有段者になれるかどうかという厳しい道のりでした。
才能ある道場生が、生きた屍となって散っていったのです。

私自身は能力的には、天才肌ではなかったのですが、八年かけてコツコツと積み上げて段位を取得しました。
何度辞めようかと、数えきれないほど試行錯誤したものです。
それでも、健全な肉体を最強にするには、この道しかないと確信していたのです。
それだけに、初段の段位を取得した時には、大山総裁の顔に後光が射すように見えたものです。

 ところで、極真の道は、私個人の才能を開花させてくれたようです。
人間関係の調整、人を育てるという教育という観点、さらに全体の経営といったことです。
それにもまして、家族という観点では、徹底的に手塚会長より説教を受け続けました。
それにもまして、道徳の法則のように人としての掟を学んだのでした。
文字の表現としてではなく、身体全体で学ぶのでした。

それだけに、身体に浸み込んでいるわけです。
人としてやるべきことが心に浮かんでは実践しようとするのです。
今でも、頭の中で、「ああでもないこうでもない」と試行錯誤するのです。
修行の一端として日々の生活をしているので、何に関しても究めようとするのです。

基本的観点としては、文化人というよりは武人としての生きざまの実践なのです。
姑息な人間になることを恥じるし、臆病になることには毛嫌いさえするのです。
最悪な屈辱的人格の排斥であり、卑屈な人格の脱皮を目指した修行時代という事です。
極真空手道を追及したことによって、心と体を成熟させたのです。

この極真の道を究めようと修行してきたことが、自分の意志でもあったのですが、運命のような気もするのです。
そして、ストイックに、究めたことによって人生の何たるかを悟ったという事でしょう。
それを、なるべく多くの道場生に伝授するという作業も始まっているのです。
もちろん、伝授といえば大げさな事ですが、今まで経験してきたことを表現するだけなのです。

 修行者として、今までも究めてきたのですが、これからが本番という気持ちのほうが強いのです。
心の平安を求めるというよりは、より刺激的な道を究めるという事を主眼点においているのです。
安定するよりは、刺激と冒険なのです。
それにふさわしいスタッフが十二分に備わっているのは不思議な事です。

私個人の力は限界がありますが、スタッフと共に進めていくとするならば、最高の輝きを放つという事です。
最近は瞑想を繰り返しするのです。
禅の世界に近いものがあります。
言語表現の範囲を超えた思考領域に達するようです。

もちろん、順調に行くというよりは、挫折の繰り返しなのです。
その度ごとに、自己との心の対話を必要に迫られて繰り返すのです。
そのような意味では、世の中の概念を一挙に超越してしまう勢いがあるのです。
すぐさま、スタッフに話すと、鼻であしらわれてしまいます。

それでも、心の自由は満喫しているという事です。
天地自由人なのでしょう。
諫めてくれるスタッフに感謝するのですが、頭の中の空想は増すばかりです。
そして、思考を重ねていくうちに、何か金鉱にぶち当たる感覚にもなるのです。