2017年12月4日(八段語録3155)
極真会館手塚グループ
  第一章 極真空手の精神内容

一日の気分、一週間の気分、そして一ヶ月の気分、全て変化があります。
変化というと耳触りがいいのですが、実際はムラがあるということです。
昨日はやる気が充満しているのですが、今日は全くやる気なしということもあります。
この気持ちの変動は、信念をもってしても一定に保つことがなかなか出来ないのです。
時計のように一定の時を刻むように、精神をコントロールすることは難しいのです。
それが、仕事となるとスケジュール闘争に入るので、仕事が精神をコントロールするのです。
充実した気分にもなるし、達成感も出てくるのです。
心が敷かれレールに乗っていると自覚するとしなしに関わらず気分は上がります。
この充実感は本物であるのかという疑念も出てくるのです。
多くのサラリーマンが退職後に無気力になるケースが多いのです。
決められた仕事や指示を受けた仕事に対しては、真面目に取り組むことが出来るのです。
しかし、自らの意思でもって創造性で対応するということに対しては欠如しているのです。
その為に脱力感が退職後に現れるということになるのです。
その反対に、自らの意思でもって物事に対応すると労力も時間もかかります。
試行錯誤が続くであろうし、多くの時間も投入するのです。
私の場合、社会に対しては列外ということでしょう。修行者を通しました。
それだけに、敷かれたレールに乗るというよりは、開拓の日々であったのでした。
さて、自分自身の精神を分析するまでもなく、性質と構造があるようです。
性質は多種多様に現れます。
だからといって、精神構造はというならば、性質と関連しているようです。
もちろん、性質ということを考えるのですが、そこにその人の内容が充満しています。
それも、性質に関しては、プラスであったり、マイナスであったり変化があります。
心の内容はというならば、愛情があり、創造性も発揮するのです。
もちろん、理性的な側面として十分に思考することが出来るのです。
よく言われるように、知情意の内容を心は持っているということです。
その心の内容を発揮させずして、個人の成長を発揮するということにはならないのです。
何か難しいことを表現しているようになってしまいました。
全て受け売りですので、あまり気になさらないで下さい。
知的機能は理性の能力を発揮しています。
また、情的機能は愛情を表現し、意的機能は意欲性をもたらすということです。
心の内容は、形に現れるという事も自覚できるのです。
つまり、観念・概念・法則・数理などの演出をするのです。
ですから、心の形を決定すると、内容が充実してくるということです。
そのような、形をしっかり身につけようとするのが、極真精神の礼節になります。
ところで、このような難しい話を飛ばしたいのですが、ちょっと話を進めます。
この心の形を、極真精神としては、知情意の全てをプラス志向にするのです。
情的には、喜びと悲しみがあります。
それだけに、喜びを抱けるように心血を注いで稽古をするのです。
知的にも、知識を磨こうと発展させるのです。
また、意的にも積極性をもって対応するようにするわけです。
そのこころをしっかりさせるのが、極真精神での心の規定ということになります。
どんなにプラスでの知情意の発想をしても、犯罪に至ったならば話になりません
その為に、その心の内容に規定を儲けるのです。
それが、心のブレーキになるのです。
簡単にいうならば、ユダヤ教であったならば、律法であります。
また、キリスト教であったならば、愛情のあり方ということでしょう。
そのような土台が、極真空手では、極真精神という枠組みという発想をするのです。
心の内容を包装紙のように包み込むのです。
そして、自戒も含めて知情意をプラスに発揮させるわけです。
そのようにして、間違いのない心の動きを監視するかのように自制するのです。
結論として、極真精神をもって、心の内容と性質を規定しようとするのです。
見えない心だけに、曖昧になりがちです。
それでも、「みえる化」して果敢に挑戦しようとするのです。
心のプラス面を強調します。
そのコントロールを極真精神が担うわけです。
心の律法に重きを置いて愛情のあり方として、手塚グループでは提言をしているのです。
その律法的な内容が、一つに人を傷つけないということです。
また、不倫は身の破滅であると戒めるのです。
お陰様で、指導者が振り分けられ、このグループの方針の人材が固まったのです。
実にこのグループに残った指導者は狭い門を叩いたことになりました。
世間でも先駆けて公人としての方針を出してきたのです。
その方針が、世間的にも、今の時代は戒められてきているのです。
許された時代とは違って、暴力や不倫は社会から追放されるに至っているのです。
手塚グループで主張してきた戒律が社会でも適用され始めているのです。
そのような意味では、手塚会長と共に主張した心の戒めは先端を行っているのです。
もちろん、例外は無いのです。
私自身が、問題を起こしたならな、即刻首ということです。