2017年12月3日(八段語録3154)
極真会館手塚グループ
  三 極真空手の起点そして精神

長い極真空手の道を歩んできたものです。
私自身、熱病にうなされるように歩み続けたことになります。
どうして、極真空手に私自身を駆り立てたかということです。
結論として、自己管理という課題に取り組むために極真空手を活用したのでした。
当時、人生に対して「正しい生き方をしたい」ということがテーマでした。
高校を卒業して、世間に出てみれば、大人嗜みのネオン街が広がっていました。
潔癖症なだけに、自分が納得しなければ、首を突っ込むという事はなかったのです。
女性が商品化されて、性産業化されている街に対しては、嫌悪感を持ったものです。
ところが、ややもすると、安易に大人の歓楽街に流されるような誘惑も降りかかるのです。
誰からということでもなく、自分の心から湧き上がる興味も出てきたのでした。
そのような、私が嫌う私との戦いが始まっていたのです。
それが、動機となって極真の門を叩いたということが本音なのです。
修行僧のように自分の肉体を虐めれば、不埒な気持ちが薄れると思ったのです。
自己との戦いが、極真空手の道を極めていこうとする原動力になったのです。
正しい心で、肉体を管理できたとしたならば、どれだけ気持ちが良いかということの挑戦でした。
そのような戦いを、今でも実践していることに関して、これも極真空手の入門の動機なのです。
さて、極真会館に入門する道場生の動機は千差万別です。
私が特殊ということでもないように思うのです。
実践空手という事が極真の特徴ですから、自分の心に直接ぶち当たるという事です。
邪まな自分への挑戦が、極真空手野修行と共に始まったという事です。
極真空手を実践しながら、日本中を駆け巡りました。
漁師・農民・街の人・村で暮らす人、様々の人との出会いがありました。
道場に通いながら、多くの人を研究もしました。
そして、自分が目指す人間像をどのようにすべきかを暗中模索したのでした。
その結果として、年齢を重ねてきたということです。
変人という色々な人の評価もありますが、あまり気にしていないのです。
理由は、まだまだ修行中の身であって、これからあらゆる刺激が待ち構えていると思うのです。
確かに一風変わった生き方であるかもしれませんが、実践を続けているのです。
それだけに、女性として付き合った人は妻以外にはいなかったのです。
友に話しても、ばかにされるだけなのですが、それでも悔いはないのです。
それどころか、自分を律した結果として、ひとりの女性を愛することができたと自負するのです。
夫婦として家族を持って歩むなかで、この家族を、生涯守ろうとする心が湧き上がるのです。
ところで、そのような人生をベースにして、極真理論を展開するようになっているのです。
この観点を受け入れて下さった方が、手塚会長なのです。
私の生き方と会長の生き方がそっくりな事で、日頃の会話が弾むのです。
会長は、韓国のキンセンパーテーで、支部長たちと同行しようが女性を拒否したのです。
手塚会長の自己管理と私の自己管理が合致したのです。
その事が、会長を尊敬するキッカケになったという事は言うまでもありません。
誰も受け入れる事はないと思っていた内容を、会長も行なっていたと言う事でした。
それだけに、親近感は沸々と湧き上がってきたのでした。
会長の発想は、私自身の全てを内包してくれるようでした。
そして、会長との二十数年の付き合いは、同じ精神を共有することに至りました。
そして、身を汚さないという精神が、実践としての人生をより強固に目指せたのです。
その生き様は、「在るべき人」としての姿ではないかと考察に至ったのです。
この精神で、道場生に対しても共有すると言う事を意識する訳です。
そして、このロジックで、組織が腐敗しないように導けると言う確信にも至ったのです。
今は、手塚グループがこのような価値観に立脚していると主張するのです。
その為の指導が、日々の稽古になる事を決して躊躇しないのです。
結論として、このような自己管理という観点から、倫理道徳を正すということに、このグループの存在価値があるのです。
それを、日々の稽古はもちろん、大会や審査会を通じて実践するのです。
一般社会人として恥ずかしくない生き方であると確信に至るのです。
そのためにも、私を始め指導者が崩れてはいけないのです。
それは、日常生活というよりも、修行であることに匹敵するのです。
このような発想は、修行僧に似ているところもあるのです。
それも、僧侶の中でも荒行に匹敵するのです。
そんな生き方を、道場で実践して、社会に良き人材を輩出するという気持ちなのです。
私もボランティアで、ある団体での壁にぶつかりました。
一次会からコンパニオンを呼んで接待するような事に異議を申し上げました。
公費の使い方に対しても疑問を呈しました。
お陰様で、その組織では村八分になっているのです。
それでも、胸を張って自己管理を重ねて行くつもりです。
決して、味方はいないという事は百も承知です。
それでも、今まで歩んできた極真精神が私の人生なのです。
決して妥協する事は出来ないという事です。