2017年11月24日(八段語録3150)
道場生へ(11)
今日は、雨そして霙、次に雪になり、午後からは晴れたったのでした。
一日の天候の変化にびっくりです。
朝起きて、すぐに深呼吸です。
今日も一日一生懸命という気持ちの念を入れます。
早速、身体を動かして、音楽を聞きます。
一日を生活する上で儀式のようなものです。
それから、おもむろにパソコンに向かって、ブログのチェックです。
昨日表現した内容をもう一度振り返って、誤字脱字のチェックを始めます。
大丈夫という気持ちになると、動画の撮影に入ります。
それも、リハーサルなしで、本番です。
収録した動画をそのままFBにアップです。
それから、一日の出発になるのです。
そうする中で、今日という心の扉を開くのです。
愛する家族と道場生の為に暮らそうと決心するのです。
そうする過程が実に爽やかなのです。
私を中心に動き出す景色や事象が新鮮に感ことができるのです。
さて、今日一日を最高でありたいと願うと、心のアクセルを踏まなければならないのです。
アクセルは夢や理想に繋がっていきます。
その過程の中で、生きているという快感が湧き上がるというものです。
自分自身に理想と夢の風を吹かせようとするのです。
今日一日には、様々な出来事が起こって来ます。
起きる事象は悪いこともあるし良いこともあるのです。
それでも、その中で、人生は良きものであると感じてしまうのです。
今日一日の中に、ささやかな奇跡が起こるのです。
今日は荒れ模様だと思ったのですが、いつのまにか太陽が燦々と輝いているのです。
天候の表れが、今日一日が波乱に満ちていつように思えるのです。
今日も勇気を出して歩めば、どんな波乱があろうとも夢につながって行きそうなのです。
自分の常識を破って取り組むということです。
何かしら今日もやりたい事が、勇気を出せば生まれて来そうなのです。
そして、今日という日も大好きに思えるものです。
また、自分自身も大好きになるのです。
私も大好き、今日も大好きと思える心は、夢や理想が実現思想にも感じるのです。
ところで、私自身極真会館の鏡のようになろうとするわけです。
極真空手の価値と特性を映し出すのです。
そして、この手塚グループは、全ての道場生の願いの結実なのです。
この極真会館の繋がりは、生命と理想を映し出すことになるのです。
手塚会長の願う、家族として存在価値を高めているのです。
そして、極真会館を家族として高めた生き方は、偉大であると思うです。
それは、生涯極真空手と共にある生活になるし、一人一人が輝く生活になるのです。
そして、このグループの願いは、共に焼き尽くすような愛情に満たされることです。
このグループでも、私の家族でも起きる事象に対して真剣になるのです。
例えば、長男の出産は二日がかりでした。
妻の難産の姿を二日にわたり付き合って、私もいつのまにか胃潰瘍になってしまいました。
また、長女が5歳にもならないのに、保育園でキリストの聖誕のナレーションを演じたのです。ドキドキしました。
末の娘は、足が早く、徒競走ではいつもトップでゴールのテープを切っていました。
おせいじにも、豊かな生活とは言い難かったのですが、愛情だけはあったのです。
そんな些細な体験でも、最高の幸せを感じたものです。
家族と同じく、道場生に対しても一つ一つの思い出が宝物なのです。
結論として、何もない私でしたが、家族の親ということで幸せを味わったのです。
そして、師範ということで、道場生との思い出が焼き付いて離れないのです。
親としても師範としても足らないながら、子供達と道場生に育てられてたのです。
そして、成長して来た子供達と道場生を目の前にしているのです。
このような素晴らしきかな人生は、そんなに与えられるものではないように思うのです。
私自身は、自分に厳しく自己成長を果たそうとしたのです。
名誉も地位も求めませんでした。
ただ修行に明け暮れた日々を送ったのです。
時には、勉強に明け暮れ、苦学生の標本のような生き様がありました。
豊かな生活とは無縁の人生でしたが、子供達と道場生が豊かさを与えてくれたのです。
今振り返るまでもなく、狂喜乱舞の日々ということでした。
もう既に、私自身、人生最高の体験をしていると思っているのです。
道場生諸君に対して言いたいことは、この極真の道は刺激と変化に満ちているのです。
努力は必要ですが、それ以上に恵沢が訪れるということです。
まだ、私自身も終わりではなく、始まりであると思って前進します。
一緒に極真手塚グループを盛り上げて行きましょう。