2017年11月21日(八段語録3148)
道場生へ
(9)

若かりし頃、選手生活を長く続けてきて感じることがあります。
試合に出場して、多くの人と対戦してきました。
勝負を挑んだ訳です。
宮本武蔵とは違って勝つこともあり、負けることもありました。
結局対戦してくれた選手は、振り返るまでもなく私自身の磨き石になったのです。
確かに勝つことを目指して一生懸命稽古に励んでいました。
その姿勢は、勝負の世界よりも、思わぬ形で私の心を覆っていったのです。
それは、理想と夢を追い続けるということを最後まで諦めないということでした。
そんな訳で、今もその姿勢は貫かれているのです。
戦いに勝つということも身に付きましたが、それ以上に夢を諦めないということでした。
それは、この年齢になっても変わらないのです。
結果的に、良き選手時代を送ったということに対する自負心も生まれてきます。
ファイターということで、勝つだけでなく、思いもよらぬ夢を追いかけるという副産物が身についたということです。
どんな境遇になっても、現実より夢が大きくなるような捉え方が身に付いたのです。
それでも、信頼関係の中で夢が一つ一つ実現していくということで確かな感性を持てたのです。
さて、道場生に対する私の希望は、私の人生経験から極真空手道を通じて、夢と理想を与えようとすることです。
人生を過ごして人としての歩みを振り返ると、愛情の全てを感じたいのです。
生活もあるでしょう。それ以上に夢が渦巻くのです。
それだけで止まらない核エネルギのように無限に発散するのです。
人は、人生を歩んでいく途上で、胸の熱い高まりを感じることがしばしばあるのです。
私の場合、言わずと知れた内容ですが、極真空手に出会ってその気持ちになったのです。
それだけでなく、最愛の妻の千順さんとの出会いもそうでした。
人の欲望は貪欲までも願いを持った場合、向かっていくエネルギーは凄まじいものです。
子供を授かった時でも、育てて行こうとする気持ちは核エネルギーのように無限の力が湧いたのでした。
今、娘も核エネルギーのような情熱を抱いてある目標に向かっています。
それは、誰もが等しく、いつか抱く夢なのかもしれません。
その時を逃すと、そんな時期を得るのに時間がかかるかもしれないのです。
そのような意味では、道場生に対して、胸の熱い高まりを感じることができるように指導していくつもりです。
人の幸不幸は誰も測ることはできないのです。
ただ言えることは、夢と理想を持つということが、大事であるということでしょう。
ところで、道場生に対して、本当に気持ちを通じて、わかり合って行きたいということです。
それだけでなく、最大限人格を包んであげたいという気持ちになります。
道場生が、歓喜に溢れるようなひと時が持て、夢と理想に向かっていくことができるように、心の赴くままに歩んでいけるようにサポートして行きたいのです。
間違い無く、一人一人の道場生を私の瞳に焼き付けたいのです。
稽古を日々重ねる姿も決して忘れないのです。
まして、選手として頑張って必死になっている姿は、心に刻むのです。
道場生のあの日のあの夢を決して脳裏から離れないのです。
この極真の道を先駆けてきた私としては、道場生に対しては、私を発射台にしていけという思いです。
道場生が、日々切磋琢磨して、歓喜ある感動のひと時を得てもらいたいのです。
それが、私の道場生の為に生きようとする気持ちなのです。
それが、愛する道場生に対する残り少ない私の生き様ということです。
道場生が、信じたその日の衝撃と究極の願いを持つための肥料となりたいのです。
それによって、道が開け、完全な生命の充実感を感じるようにということです。
そして、人生そのものは、限界はないのです。
夢の道には終わりがないのです。
結論として、今確かに道場生一人一人と触れ合っているのです。
そして、多くの刺激を感じさせられているのです。
それは、この極真空手をあゆむ上で、親のような立場に立っているのでしょう。
先駆けに歩み続けてきたので、そのような気持ちはついてきます。
誰もが味わうひと時の燃えたぎる思いの時の修練になればということです。
それだけに、道場生のいく道において、理想と夢に向かって分かち合いたいということです。
日々の稽古で親密な関係を持つことができるのではという思いです。
それ故に、道場生には、一生に一度の燃えたぎる夢のエネルギーを信じてもらいたいのです。
例えていうならば、ジェット機やロケットに乗るような速さにおいても、燃える情熱になるのです。
毎日の穏やかな日々の中で、夢は突然やって来るのです。
それは、私自身の人生の中ででも起きたことです。
それは紛れもなく、道場生一人一人で起こるのです。
道場生が、次に飛び立つことができるように最大限サポートです。
もうそれが、生き甲斐になってきました。
今の指導者に対しても、本当の奥義はまだ話せていません。
指導者研修をするということも、夢の実現の一つなのです。