2017年11月19日(八段語録3147)
道場生へ(8)
二日間の審査会が無事に終了しました。
今回は、中高生の道場生の審査も含まれたのです。
百三十名程の道場生が一同にグランディのサブアリーナを埋め尽くしました。
審査会を行う上で、緊張している趣と真剣な眼差しで張り詰めていました。
今回の審査会は、遥々千葉から手塚代表をお迎えしました。
それも手塚代表が就任してから、宮城県本部にお呼びしたのが今回が初めてになりました。
来仙する機会はあったのですが、スケジュールの調整がつかなかったのでした。
それでも、初めてお呼びしたのですが、道場生に親しく話しかけてくださいました。
極真空手の審査会ですから、厳しさが醸し出されるのです。
その雰囲気の中で、潤滑油の如く、優しく包んでくれる代表がいるのはありがたい事です。
母のようで、道場生に対しての気持ちの尽くし方が指導員とは違うのです。
優しくもあり、細かい心遣には違った趣を醸し出してくれるのです。
さらに、観客席では、両親や家族が見守っているのです。
それも、審査会の会場は、神聖な道場の延長であるから、両親に対しては、腕組みやスマホ禁止にしているのです。
それだけに、雑念なく、子供さんの姿を注視しているようでした。
そのような環境の中で、厳しくも愛情のこもった審査会が行われたのです。
この審査会では、真剣に子供がありったけの力を振り絞って受験しているのです。
審査会場は、子供の努力と親の夢が重なり合う場になっているのです。
そして、極真の厳しい修行の審査を両親の見守る愛情の中で受けているという事です。
審査会は、両親の愛情が先行して、子供達が両親の願いに答える形ですから、確かな生命の躍動感があるのです。
道場生は、両親の愛情と理想の結実という事です。
観客席で眺める両親にして見れば、もう一人の自分を我が子に見ているようです。
両親の愛情の結実であり、生命の結実であり、そして理想が凝縮されているのです。
間違いなく、道場生は両親の夢と理想を映し出しているのです。
そんなわけで、審査会は、ただ厳しいということだけでなく、愛情の眼差しが燦燦と降り注がれているのです。
審査会が終了して、道場生と両親を玄関先で挨拶するようにしているのです。
どの家族にも、感謝の念と笑顔が溢れているのをみるのです。
それは、決して審査会は落とすためのものでなく、新たなる門出を祝う審査なのです。
少し解説がいるようですから、ちょっと掻い摘むのですが、両親の愛情に子供達の生命が躍動しているのです。
それは、両親も子供達も共に喜びと感動を受けているという事です。
厳しくも仲睦ましくもあるのです。
審査会を終えて、親子が顔を合わせる時間は、とても幸福なひと時の流れになるのです。
ところで、私自身も幸せな時を過ごさせて頂きました。
息子の聖義が指導者として、審査会の全体を仕切るのです。
もう三回目になるのですが、毎回頼もしさが醸し出してきます。
私に対する神様のご褒美に思えて仕方がありません。
極真空手を息子にさせたのは、もう二十五年前です。
彼が三歳からですから、長い間極真空手の修行をしてきたのです。
家族としても大切ですが、審査会では、心と心が合わさるのです。
三歳から今までのことが走馬灯のように浮かんでは消えの連続です。
親として、このような感動を受けるとは夢にも思わなかったことでした。
無我夢中で、ただひたすら走り抜いてきた人生です。
このような我が子を眺める幸せな時間があるとは神様の粋な計らいです。
道場における先輩指導者が息子の養育係なのです。
この息子は跡取りだから、今のうちに潰してしまおうという先輩はいないのです。
確かに年下であるのですが、礼節を守って先輩を立てる息子の姿もあるのです。
かつての諸先輩の失敗を繰り返していないようで、傲慢にもなっていないのです。
もちろん、私が背後にいるということでも、守られているということもあると思うのです。
結論として、道場生に言いたいのですが、道場生自身が親の誇りなのです。
親の苦労した全てが、我が子の姿で全て報われるのです。
親と子が、共に同じ極真の道を見つめるということは、幸せが二倍にもなります。
誰に認められなくても、親子と共に、偉大な人生であったと思えるのです。
審査会ばかりでなく、親子が共にある空間、そして時間は幸せの玉手箱なのです。
子供の成長にはいかなる喜びよりも勝るのです。
決して、私としても馴れ馴れしく息子と話さないのです。
それでも、今日の審査会の指導者としての采配は一生記憶に残るのです。
これほど、同じ極真の道を歩ということの意義が不快とは思えなかったのです。
このような私自身の今回の体験からしても、子供は何物にも変えがたい気持ちになります。
息子は、二人の息子達の親にもなっているのです。
もう二歳三ヶ月と四ヶ月目を迎える子供達です。
しっかりしてくるはずです。
私は息子を二十五年極真空手の修行の道をいかせているのです。
その時期その時期で息子から、有り余るほどの愛情の刺激を受けたのです。
それはどんな財物よりも代え難いのです。
そんな思いを、道場生の両親は抱いて審査会場から帰路に着いたはずです。