2017年11月17日(八段語録3146)
道場生へ
(7)

道場生の稽古漫然としてはいけないということです。精神的スキルを持てという事です。
どのような構想を抱いて行動していくかということになります。
道場生一人ひとりは、大山総裁の弟子ということです。
これが、極真会館の示す指針なのです。
極真の伝統を継承して正当な後継者を目指すのです。
もちろん、大山総裁を乗り越えていく事は言うまでもありません。
創始者を目指しますが、それで留まっていてはならないのが修行なのです。
そして、空手道の道を極めつつ地域に根ざして信頼関係を築いていくのです。
道場生が、地域社会において一人前の大人になっていくということです。社会が認めるのはその人物がどのようなスキルを持っているかという事です。
私自身、道場生の先輩として、人生を戦ってみました。
それなりの悩みや葛藤はありましたが、目指すべき目標があった事は有り難かったのです。
総裁が原点になって、多くの先人の教えも素直に聴くことが出来ました。
私達にとって、良き指導者に出会うという事は、人生を有意義に推し進める道標になります。
どのように総裁が人生を戦って来たかということを、目前に据えて戦えるというものです。
もちろん、成功例の人生は、総裁だけではないのです。
ピンとこない点は、私には多くありました。
あまりにも、遠い存在であったからであります。
私が直接指導を総裁から仰いだのは、総本部時代の四年間でした。
それでも、内弟子ではなかったので、毎日朝から晩まで接するということではなかったのです。
白帯時代は、先輩からの激しい組手で何度も挫折してしたのです。
そのために逃げ出して全国を放浪したものです。
結局、総本部で本格的に稽古を始めるようになったのは、三十歳近くで黒帯を締めてからでした。
総裁の成功事例を自分の心に刻みつけながら、誇りある生き方を目指したものです。
先輩達の全日本や世界大会での活躍が刺激になりました。
全日本でチャンピオンになるという夢は叶いませんでしたが、生き方のスタンスは学んだのです。
振り返れば、チャンピオンになって、若くして傲慢にならなくて良かったとも思えるのです。
挫折と敗北、自分を見つめていく多くの時間を持てたのです。それでも、技を磨くように自分に厳しく歩みました。
それが何よりもの財産になっているのです。
この年齢になっても、極真精神に漲っているということです。
多くの先輩が私に失敗例を示したのです。
つまり、先輩達の歩みは、教訓になったのです。
酒に溺れる先輩、女性のトラブルが絶えなかった先輩、様々参考になりました。
それが、自分の哲学を確立する上で、役立ったということも事実なのです。
そのような中で、手塚会長に出会った事は、自分を引き上げて下さったのです。
ところで、こうしてブログを書くと自分の姿勢を改めて正すことができるというものです。
自分の歩み、喜び、能力と知恵は、日々の生活の中でやる気として全身を駆け巡ります。
日々健康に暮らすことができ、目指すべき目標がある幸せを実感するのです。
これが、幸福実現の原点であるような気がします。
大山総裁は、総本部で四年間確かにお世話になりました。
稽古の最後には、三階の総裁室から出て来ていつも元気付けてくれるメッセージをくださいました。
それは、黒帯の私であったとしても、白帯の昨日入門した人でも一律に話してくれたのです。
それは、大変有り難かったのですが、個人的な繋がりはほとんど無かったのです。
大山総裁と比較するわけでないのですが、手塚会長との会話は一対一でした。
個人的な接点が毎日のようにあったのです。
そうするうちに、会長との絆が深まりました。
そして、悩みも夢と希望も共に分かち合いながら毎日を過ごすことが出来たのです。
そのような絆は、私を副会長に任命するに至ったのです。
それだけでなく全ての継承の手続きや書類作成が暗黙のうちに見えない中でも自動的に結ばれたのです。
結局、このような信頼関係は誰からも奪われるという事は無かったのです。
それは、師と弟子が自動的に繋がっているようにも思えたのです。
結論として、遠くの偉大な指導者を仰ぎ見るよりは、実際のマンツーマンで対応してくれる指導者が本当の師になるという実感でした。
地上最強の空手を学ぼうと極真会館に入門したのですが、大山総裁は雲の上の人でした。
そして、総裁に一歩でも近づこうとして歩んで黒帯まで取得させていただいたのでした。
しかし、本当に信頼関係を持って、自分のステージを準備して下さったのは、いつも夢を語り合った手塚会長だったのです。
どんなに、偉大な人が指導者であったとしても、直接私に関係がなければ、本当の力にはならないという事を感じたわけです。
それよりも、手塚会長と語り合った夢の方がどれだけ大きかったかという事です。
どうして、そう感じたのかというならば、こればかりは実感なのです。
それだけに、私の姿勢は、一対一になるべく対応しようと思うようになっているのです。
私と共に歩んできた弟子として付いてきた指導者は、一対一で対応してきた人ばかりです。
それだけに、絆は強いのです。
これかの私の姿勢も、道場生と一対一の付き合いをしていきたいという思いです。
指導者研修会を今月から始めたのも、この一対一の対応をしようと思ったからです。
細胞が弾け散るような感動を共に味わうためにこの方針を立てました。
最終的な願いを全うしていくために、道場生と一丸となって歩みたいという思いです。