2017年11月16日(八段語録3145)
道場生へ(6)
夢にも思わない人生が繰り広げられてきていると感じてしまいます。
舞台としては、人生劇場ということなのでしょう。
どのような結末になる人生なのかも未知なのです。
それだけに、ワクワクするような気持ちも湧いてきます。
また、チャレンジする気持ちは無限に広がるというものです。
振り返ると、それなりのスキルを身につけようと、身もだえする人生です。
極真空手の上達だけではなく、目の前にある課題に挑戦は日々続くのです。
そのような、自己成長の意識を重ねることに余念がないのです。
一日を刺激のないように生きるということは、私には無理という事です。
例えば私は手帳に記録を書く癖がありました。
大切な講演や記録しなければならないことは、すぐに手帳に筆記していたのです。
その手帳を後で読み返すのですが、汚い字が綴られていて心が折れるのです。
確かに意味はわかるのですが、読み終わると嫌気が刺すということの繰り返しでした。
このような嫌気のある手帳を二十年間続けてきたことに驚きを持っているのです。
三十五歳の時だったでしょうか、ワープロソフトの一太郎を事務員の人が打っていたのです。
たどたどしく、五月雨方式で人差し指で打っていました。
打ち方はどうあれ、ディスプレイに現れる文字の美しさに憧れたのです。
そうなると、居ても立っても居られなくなり、ノートパソコンと一太郎ソフトを購入したのです。衝動買いというやつでしょう。
パソコンを使う時に、その当時はオペレーションシステムのNSDOSがありました。
どんなシステムなのかを書籍を読んで調べるようになったのです。
コマンドを英語で打って、コンピュータに命令するというところまで分かりました。
そのシステム上で一太郎が動くということも目をみはるばかり事でした。
一太郎を立ち上げて、画面を開き文字を打つということも納得したのです。
さっそく、五月雨方式で、人差し指で日本語入力を試みたのです。
それで、会議で用いようと思ったのですが、講話についていくだけの入力はできないのです。
人差し指一本での勝負ですから無理もない事です。
その当時、パソコンを使う人は周りにはほとんどいなかったのです。
IBMかNECのパソコンが出回っているだけでした。
持ち運び用のパソコンがNECから出ましたが、値段が半端なく高かったのです。
周辺機器を取り揃えると百万は下らなかったのです。
それでも、興味を持ったからには一直線に投入したのです。
周りからは、宝の持ち腐れと揶揄もされました。
毎日、ノートパソコンを持参する日々が続きました。
それだけに、パソコンと一太郎の攻略をどうするかと日々模索する日々が続きました。
システムの動かし方が分かってきた時点で、どのように実用化するかを考えたのです。
キーボードを使いこなさなければならないということに着目しました。
英語での文字列で、ヘンテコな並び方に驚きです。
どのようにブラインドタッチでキーを叩くことができるかということに挑戦し始めたのです。
ローマ字入力で日本語が打てるという事がわかったので、英文字を二度タップして文字を出す方式を研究したのです。
そのために、キーボードの文字列を暗記したのです。
その内に英文字を決まった指で打つということが、できるようになったのでした。
スピードも上がりました。
人が講話をするメモを取ることができるようにまで進化してきたのです。
それだけに、講演も一番前で、速記以上に進化を遂げました。
そうなると、人の話も記録することだけでなく、自分の発想も文字で表現できるようになったのです。
それは、私にとっては、奇跡的な事でした。
三十五歳からの人生がきれいな画面に入力できるという事で、変化したようにも思えたのです。
自分が考えたことが文字にタイピングをするだけで即座表現できますから、魔法使いのようにも思えたのです。
そのような新たなる能力を身につけたことによって、学習能力が格段に引き上がったのです。
それは、人生に対する新たなる光明のように感じたものです。
結論として話したいことは、夢にも思わない事に人はハマるという事です。
もちろん、極真空手の修行をすることになるとは夢にも思わなかったのです。
それだけに、与えられた時に、それなりのスキルを身につけようとすれば開けるという事です。極真のスキルは一生の宝物になりました。
また、パソコンの習得から、論文作成をするようになり、結果的に修士課程を終了したのです。
極真空手においては、今の立場まで引き上がることが出来ました。
自分の願っている方向を目指すには、スキルを磨くということだと思うのです。
パソコンであれ、極真空手であれ、熱中するならば、道が開けるというものです。
そんな経験をしてきた私からの提案ですが、その場の課題に取り組むということです。
スキルを磨くと、さらなる欲望が湧いてくるというものです。
衰えもしない欲求は、このようなスキルを、地道に磨くというところにあるのです。
人に何と言われようが、自分の信じた道として、自己創造を持って歩むということです。
マンネリ化しては、何も創造することも出来ないのです。
それだけに、一つの道を踏み外すことなく、取り組むことを進めます。
人生は決められたレールを走るということではないのです。
限りなく好奇心が湧いて来るようなスキルが一人一人に待ち受けているのです。
それだけに、極真空手に出会ったことは、スキルを磨く上で突破口になるのです。