2017年11月15日(八段語録3144)
道場生へ
(5)

私の話から、何か掴んでもらえればということで表現しています。
実に個人的な話から入ります。
極真空手を始めて、選手でしたので、身体作りに力を入れていました。
道場に通い始めた時は、六十キロの体重でした。
身長が高く細長い電柱のようにスッキリしていたのでした。
大会に出場するなかで、筋肉を増やすという目標をたてたのです。
そして、相撲取りのように食べる事を前面に打ち出す生活を重ねたのでした。
その結果、四十キロ増加の百キロを遥かに超える体重になったのです。
それでも、選手の時は、体重が増えたとしても引き締まった肉体でした。
その体重を武器に、あらゆる大会に参加してきたのです。
その後、三十四歳で選手を引退して、指導者に回ったのです。
最初は、現場で道場生と一緒に汗を流していましたので、極真ボディのままでした。
六十歳になっても、現役の指導者という意識が強くあったのです。
六十三歳になって、手塚会長が他界するということになったのです。
忘れもしない一月五日でした。
そこから、このグループを継承するために奔走しました。
手塚夫人にも、代表という顔になっていただくことができました。
その結果、三月五日には、手塚夫人と私の二人三脚が始まったのです。
さて、十一ヶ月を過ぎてみると、筋肉が落ちて脂肪だらけになっているのです。
それも、体重は選手の時のままですから、デブなだけです。
筋肉の減少と共に、お腹周りに脂肪がまとい付くという現象になったのです。
それは、手塚会長が他界したことで、身体を使うよりは、精神的ストレスが溜まっていったのです。
現実に、体重は百五キロを超えるというところまで、到達したのです。
掛かり付けの医者からは、標準体重を示されて痩せるようにという指示を受けたのです。
どうしても、選手や現場の指導者という意識から抜けきれないものですから放置していたことになったのです。
別に病気になったわけではないのですが、標準体重を目指すという作業に意識が出ました。
最近始めたことは、痩せるという事に関して、減量するということでした。
修行の延長ということと捉えたのです。
減量が始まったのが、10月16日でした。
方法は、朝と昼は流動食にしたのです。
そして、普通の食事は夜に食べるという日常にしたのです。
その結果、一ヶ月の期間、体重が七キロ痩せたのです。
身体は気持ち軽くなりました。
その減量戦略は、これからも継続するということです。
今年の目標は、九十五キロまで痩せるという目標を立てているのです。
ところで、個人的な話をして何を感じてもらいたかったかというならば、極真の道は、課題が付き物という事です。
その一つに、道場の指導者との関係があります。
私自身、修行時代はどうであったかというならば、師範の指示に百パーセント従ったのです。
師範との人間関係は、実に親密でした。
それでも、極真空手の修行となると、帯の色でレベルが区分けされます。
先輩が中に入ってきますから、熾烈な競争をするのです。
無級の白帯から、徐々に強さを身につけるのです。
道場生という意識は、変わりはないのですが、強さを求めて自己修行が始まるのです。
技術を錬磨し精神面を強くして、有段者になるという道を切り開くのです。
そうして、級位が上がることに、師範の期待に答えるという意識は高まったのです。
いつの間にか、この道場での自分の存在位置を確立するようになったのです。
無くてはならない存在として認められると、力がフツフツと湧いてきたものです。
決して無くてはならない立場は、他の先輩を蹴落としてということではなかったのです。
そして、いつの間にか、師範の手の届かないところを任されるようになったのです。
師範の全てを受け継いで、師範の右腕になるという覚悟でした。
さらに、密接な絆が結ばれると、師範が私自身の道を切り開いてくれるのです。
そうするうちに、指導者の道を用意してくれるようになったということです。
結論として、弱肉強食のような貧弱な発想を道場生がするというのは愚かなことです。
あくまでも、立場は準備されてくるのです。
それだけに、しっかりとした信頼関係を築いて、次のポジジョンに移行するだけです。
私の指導者の道は、信頼されて任されていくということでした。
最終的には、未来において師範以上の活躍をするという願いが託されたわけです。
指導者としての資質や才能を、今の師範から学ぶということです。
そうして、受け継いでいった場合、師範の全てを任されて道が開けるのです。
そうするうちに、師範の全てのものを所有するということになるのです。
極めた師範を越えることは至難の技ですが、チャレンジする価値はあるのです。
そして、師範以上の全ての力、全ての能力、知恵が身に付くというものです。
それは、一生続く修行の継続ということに他ならないのです。
世代は交代します。
それだけに、間違いなく道場生が指導者としての道には到来するのです。
最初に、私自身の今の修行の挑戦している事を表現しました。
この年齢になっても、自己修行は続くのです。
そして、道を極めるということが極真会館にはあるのです。
それは、社会に出たとしても役に立つ修練であるということです。