2017年11月12日(八段語録3142)
道場生へ(3)
道場生は、私にとってかけがえのない存在なのです。
というのも、指導者研修会を重ねていく中で、大切であることの認識を強くしているのです。
今日の朝は、雲一つない青空が広がっていました。
今の季節は、朝の日の光が角度を下げて、部屋いっぱいに広がってきます。
いつも執務している部屋が、南向きの二階で、大きな窓が四枚あって、日差しが入るのです。
夏は、太陽が高いので、直射日光は限られた分だけしか入らないのです。
それが、冬を迎えると太陽が部屋をめがけて光を浴びせてくるのです。
温度計を眺めると、冬なのに室温が三十度を超えてしまうのです。
ところで、道場生に話を戻すのですが、私は、指導者として道場生を愛情で照らしているようです。
愛情を投げかけることが出来る対象があるということは、実に幸せなことです。
道場生は、私にとって、かけがえのない存在なのです。
指導に当たる時は、いつもながら、身振り手振りを交えて指導をするのです。
この年齢になって、愛情を注ぐ対象者がいるということは、実に幸せなことです。
学校の先生であったとしても、定年が六十歳ですから、この年齢では退職していますので、対象が無いのです。
指導できる相手がいるということに、感謝の気持ちが湧いてきます。
晩年を迎える私にとっては、まさに冬の日の光のように、部屋いっぱいに愛情を注げるというものです。
さて、そんな訳で、私自身が生涯修行を重ねてきた極真空手で、道場生がいないということになれば、寂しいものになります。
一人で、鏡を観ながら稽古をして、何を得ることが出来るというでしょう。
確かに、自己満足にはなるかもしれません。
一人の稽古を一生継続するとするならば、気が遠くなってしまいます。
しかし、道場生がいて、毎日稽古をするとなれば、気持ちは日々充実するというものです。
大きな気合いを入れて、稽古をするようであるならば、晴れ晴れということです。
常設道場は、マンションの中の一階のテナントですから、大声を出すわけにはいきません。
小声ながら、静かに指導したとしても、充実感がわき上げってくるのです。
先週の稽古でも、話したい全てを座学で投入しました。
私に動じ静ずる道場生が、それなりに指導に納得してくれるのです。
私の魂の全てを、指導者に投入するのですから、誰も気狂いとは思わないでしょう。
実に、真摯に指導しているということになります。
ところが、もし道場生がいなくて、このような指導をしていたならば、気狂いと思われます。
しかし、指導者研修という集まりを設けて、研修しているので実に正常な事です。
道場生のために全力で対応しようとする私が元気で存在しているという事です。
それ以上に、私を指導者として価値あらしめる道場生の存在は私の宝物なのです。
そんなことを踏まえて観ても、道場生から刺激を受けるということです。
刺激を受けるときに、夢と理想に向かおうとする喜びが沸きあがってきます。
晩年を迎えているのですから、夢と希望も萎むものです。
されど、指導者として感動を受け続けているという状況を見ると、道場生のお陰ということです。
一般の他の道場を眺めて観るのですが、指導者と道場生の間に高い壁があるようです。
指導者を高いと所において、道場生をあまりにも低い所に押し込んでいるのです。
指導者と道場生の間に断絶があってはならないということです。
道場で、指導者と道場生が引き離されてはいけないということです。
指導者と道場生は、あくまでも父と子であり、兄と弟という存在に似せるのです。
もちろん、馴れ馴れしくタメ口を聞くようでは話になりません。
それでも礼節を持った、親密な関係は願われる訳です。
そして、簡単に仲の良い関係になれるということを示さなければならないのです。
結論として、例え指導者が如何に立派であったとしても、道場生が心から尊敬する関係がうまれなければ、一人の哀れな人にしかなれないのです。
道場生が、生き生きするのは、指導者と心を共にすることいができるからなのです。
道場生がいることが、どれ程素晴らしいことかを実感しましょう。
さらに、道場生が極真空手を中心に修行中の刺激を感じるのは指導者があってという事です。
道場生が喜びや感動を感じることが出来るのは、指導者と分かち合えるからです。
そのよう分かち合える関係でしか、夢や理想は生まれてこないのです。
そして、大切なことは、情緒能力を高めて納めることです。
指導者は、興奮や怒りをそのままぶつけることは避けましょう。
人として成熟して人格を形成して行くのは長い道のりです。
その途上では、常々忍耐を余儀なくされます。
そこで、技術指導だけではない信頼関係の道を極めていきたいものです。
空手の上手い下手は期間に限定されます。
長く稽古を積めば必ず上手になるのです。
もっと価値あることは、入門した当時から、もう指導者と道場生が調和できるようにするのです。
というのも、指導者と道場生は同等な価値として見つめようとすればいいのです。
そうすれば、指導者はあらゆる尊敬を受けていくようになるのです。