2017年11月6日(八段語録3136)
指導者の道


今日は朝から晴天です。
空を見渡しても雲一つないのです。
今年の雨続きの異常天候を経験しただけに、この晴天がもたらす気持ちは、とても晴れ晴れです。
窓から眺める景色は、夜明け前から晴天ショウーの開幕でした。
我が家に太陽光発電を導入しているものですから、経済的にも助かります。
この年齢になっても、極真精神が身についているのでしょう。
朝は、ベッドから素早く起きます。
今日の窓の外風景は、輝く未来が示されているような日の光が輝きを増しているのです。
疲れ切った昨日の夜とは打って変わって元気が湧き上がって来ます。
実に、睡眠取って清々しい朝を迎えることは、無限なエネルギーの蓄積と放出になります。
何かしら、フツフツとエネルギー感じる自分姿を見るのです。
顔色も良好で、何でもやっていこうとする気力に漲るのです。
そのような訳で、我が家の太陽光発電と同じように、自然からエネルギーをもらうようです。
もちろん、絶えず日本晴れということはないのですが、自然は温かく包み込んでくれるようです。
大空が胸中に納まるような一日の始まりという事です。
心から、天地の恵みに感謝してからの一日の始まりを持てたのです。
さて、今日から、私の指導の指導者研修会が始まります。
自分の道を切り開いていくということに関して、誰にも負けない信念を持ってもらうのです。
本来ならば、指導者研修は現場に任せれば良いということでしょう。
もちろん、姿勢や理念を言葉で表現することも可能です。
それだけでなく、実際に道場生を指導するということは、また違った感性に触れるのです
私自身の修練にとっても、大切なことなのです。
いつの間にか、六十四歳になりました。
選手としては、ご老体ということかもしれませんが、体験を生かしての指導は出来そうです。
確かに、五十歳までに、人格の全てを成熟させようと試みて来たのです。
三十歳までに準備をして、四十歳までに指導者として立てるように実践して来たのです。
五十歳までには、日の打ち所のない指導者になっているというシナリオでした。
その理想は、未だに成就されないで、未熟なままの現状なのです。
それだけに、人と比較することなく、自分の立てた目標に邁進しようとするのです。
だからと言って、脚光を浴びたから人格が成熟することはないのです。
地道に黙々と立てた目標に向かっていくということが、生きがいになるというものです。
私が、極真の道を切り開いた分だけ、道場生の指導者としての教育に役立つというものです。
ところで、確かに老体になっている事は、間違いないないのです。
それでも、高齢になっているのという発想ではなく、成熟してエネルギーを蓄積していると発想するのです。
太陽光発電に見立てるのです。
相当エネルギーが歳をとるに従って、蓄電されているように思うわけです。
蓄積されているエネルギーが大きいだけに、道場生に対して感化力が強いということです。
だから、人が寿命を迎えるのですが、エネルギー蓄積量は大きいと見るのです。
だから、寿命と感化力を共に兼ね備えているということでしょう。
この歳になって、一日が惜しいという気持ちになるのです。
それゆえに、今日という一日を努力しなかったならば、全てが吹っ飛んでしまう気がするのです。
今日の指導日から、一日、一時間、一瞬を大切にしようと自覚をするのです。
ある意味では、真剣に生きようとするのです。
そのような事を、自覚させられる夜明けでした。
それだけに、反省することも多いのです。
私自身、睡眠時間を削る事を、積極的にチャレンジして来ました。
それは、尊敬する人が、睡眠を削って人生をエンジョイしていたからです。
それで、休む時間が午前様になることが多かったのです。
それだけに、これからは、肉体の休養をとって、エネルギー発散のステージを作るのです。
時間を大切にするという発想でも、濃縮して短期間で指導に当たるという事です。
人生晩年を迎えているのですから、実力と実行力を駆使したいものです。
その影響力がどれほどのものなのかも、しっかりチェックです。
ありったけの蓄積されたエネルギーを道場生に放出です。
それは、素晴らしい生き方が用意されていたという事でしょう。
まだまだ、気力を衰えさせるわけには行かないという事です。
実践して、しっかり指導したいものです。
また、人格はもう既に、出来上がっていますので、これから変化は少ないと思うのです。
正しい、技術と武道精神も、今まで蓄積されたものだけでしょう。
このような、築いて来たものは、未熟でも全て吐き出すという覚悟です。
もちろん、批判は覚悟ですし、それでも誰にも邪魔される事なく前進です。
最後は、私の出来得ることは、道場生に愛情の限りを尽くすという事です。
正義に立って、正当な事を教えても、命令をするからには、愛情がなければ誰も付いて来ません。
それだけに、指導者として、心から、尽くすという精神で戦っていきたいという事です。
そのような決意をして、指導者研修に臨もうとするのです。