2017年11月3日(八段語録3134)
指導者として


11月から指導者育成を、直接男女に分けてする事にしました。
常設道場で毎週月曜日に男性の指導者教育です。
そして、水曜日に女性の指導者教育をするというプログラムなのです。
その教育をするというきっかけは、余りにも道場生が手塚グループの理念が分かっていないというところからでした。
もちろん、若い指導者対象ですから、選手として活躍するだけの稽古はするのです。
技術面と精神面の二つを、責任者として指導しなければと思ったのです。
社会に対しても、極真空手の指導者としても、この道は、一生懸命なことなのです。
そして、感謝する心を持って、自分のレベルを向上させるということなのです。
常々思っている事は、「死なんとするものは生き、生きんとするものは死なん」という事なのです。
これは、確か聖書の言葉ですが、的をついているのです。
私の経験でも、全日本の試合に望んでいる時の心境そのものなのです。
死ぬ気で戦いを推し進めて行かなければ、勝利はあり得なかったのです。
それは、選手として大会に勝つばかりでなく、日頃の稽古でも当てはまったのです。
私自身、無条件に、稽古に励んできたのです。
それも、道場での指導してくださるかつての師範に対して、絶対服従でした。
さて、何事に対しても、自分を投げ打たなければ、何も始まらないのです。
例えば、コップに水が入っていては、新鮮な水は入っていかないのです。
コップの水を空にしてこそ、新しい新鮮な水が入っていくというものです。
それは、自分を投げ打っていくことができる覚悟でなければ、新しい内容を吸収できないということを意味しているのです。
そのような姿勢を、道場生一人ひとりに身に付けてもらうという事なのです。
それを自分に直結させ、日々の稽古を繰り返すということなのです。
それは、私自身が、極真空手の修行で経験したことなのです。
この内容を、道場生に対して、指導するという意識を持っているのです。
理由は、武道精神にして、余りにも道場に対しての帰属意識が薄いということです。
確かに物心がつかないうちは、仕方がないことかもしれません。
それでも、青春時代を迎える年齢になったならば、自分自身の判断ができるというものです。
帰属意識が持てないようでは、将来社会に出てから自分の居場所を失う事になりかねないのです。
そのためにも、道場生は師範に信頼され、先輩に信頼され、さらに後輩にも慕われるようになるべきです。
そこまで望めなくても、誰かに信頼され尊敬される人格を目指すという心がけなのです。
誰かの為に自分の生命を使ってくださいという気持ちを養うということです。
役に立つ人格として、日々精進して人格を磨くならば、信頼されるようになるのです。
ところで、このような姿勢を極真の道で道場生が、どれだけ身に付けることができるかということです。
私自身の体験ですが、短いような人生経験でも、途中で投げ出したいという試練は絶えず襲いかかってきます。
その中で、挫折も味わうし、絶望の淵にも立たされてきました。
そんな時にこそ、極真精神の信念に燃えて、闘いの駒を進めていくという事なのです。
私自身の人生も、いつまで続くかはわかりません。
神のみぞ知るというところでしょうか。
それでも一日中生活を貴重に思って、日々戦うという姿勢が大切なのです。
そのような一旦でも、道場生に指導ができたならばという事での指導者研修という事です。
振り返ることもなく、我が人生に対しては、よく完遂してきたという実感なのです。
誰も理解されない道であろうとも、狭い門をくぐり抜けて今があるということです。
このような道は想定もできなかったのです。
必ずしも、レールが引かれているとは言い難い道ですが、感動の冒険に充ちていました。
認知されていない道であったがゆえに、面白くもありました。
一人で、スーパースターのように感じるように努力したものです。
それは、ことごとく独占企業のごとく、誰もが参入することができない道であったのです。
そのような気持ちから、極真の道の生きざまを理念かする事になったのです。
結論として、道場生を逞しく価値ある生き方ができるようにしたいものです。
当たり前ですが、道場生に対しては、一生懸命の稽古を願うのです。
私自身の指導はというならば、サークルのような感覚の指導ではないのです。
実に日本刀を抜いて道場生に接するような真剣さがあるのです。
今日のブログは、結構厳しい表現になっています。
それは、もう日本刀を抜いたからには、しっかり教育しなければ、鞘に納める事はできないという事です。
結局は、切るか切られるかという真剣勝負で教育するという事です。
すでに、トンネルを掘り、爆薬を仕掛け、これを爆破させるという事なのです。
それだけに、脱落者も現れるかもしれません。
それが問題ではないという信念からの出発点なのです。
決して、姿勢を変えるわけにはいかないのです。
また、後退などもってのほかという事です。
指導者教育を受ける道場生に対しては、前進する以外の道はないと心得て欲しいのです。
私自身、この年齢でも、総進軍を果たそうとするのです。
今月から実践するからには、重要な時期を迎えていると認識しているのです。
もう三日もたってしまいました。
それだけに、準備をして、重大な指導者研修に取り組もうとするのです。