2012年6月12日(八段語録1711)

原点


 いつのまにか、極真会館総本部世界副会長を務めさせていただくようになってしまいました。極真空手道に携わって武道名にして、そのまま音読みで「モリギドウ」ということで通用させて、今まで生涯を歩いてまいりました。本来ならば、世界中の会員数を考慮にすると大きな組織であり、日本では15数か所の支部を抱えて、手塚グループとして貢献させていただいております。
さて、手前味噌ですが、武道精神を持って、人生の全てを青少年教育の立場で歩ましていただいておりますが、意識は社会貢献に、積極的に貢献していこうと決意をしているのです。
その理由には、佐藤智子婦人に、出会った時からの影響でありました。その時私は、高校生でありました。その時、佐藤智子婦人よりいただいたメッセージが心に響いたのでした。「世界のためにあなたは頑張るように、人類のために何かできないか。」という言葉でした。
そのような気持で青春時代を歩んでいくように、懇々と指導を受けたのでした。その時以来、四十数年の歳月がもう過ぎたのです。その時に出会ったのは青葉城、そして広瀬川です。ですから後で出てきた歌にはびっくりしました。自分のことかって?「広瀬川~流れる岸思い出は~帰らず~早瀬踊る光に~揺れていた君の瞳~」こんな佐藤智子婦人の世界貢献しようとする瞳に、自分は世界と人類を背負おうと思って歩み続けたのです。
その結果極真会館というその流れで、武道精神で人生を過ごすようになったのです。全日本大会あるいは各世界の大会に参加して、今は手塚グループを率いるという名誉な立場に立たせていただいたことになります。その極真会館に私は所属しているのですが、地域社会と連結できればいいなと、そういう風な意識をしております。
なにか、極真会館の宣伝のようになってしまっていますが、東日本の復興の鍵がこの活動にあると思うのです。それは教えていただいた佐藤智子婦人の精神から、由来すると思っております。その精神は、神と人類を愛する事なのです。その精神が私の精神になったと確信しております。道場生のみなさんご理解いただくのには時間がかかると思いますが、この時間私達が目指すことはあくまでも空手道に留まるだけではなく、あるいはなにか、学習塾のような事ではなく、多くの青少年を道場で教育しながら世界へ羽ばたく人材育成したいという思いを持ってこの極真会館に集ったひとりであります。
東日本大震災は、とても悲しかった出来事です。実に辛かったのです。とても苦しかったです。それでも、乗り越えていこうということでありますので、決意に代えてこのような事を書かせていただきました。