2017年10月30日(八段語録3133)
手塚グループでの21年の歩み


直接手塚会長と一緒に歩み始めて、二十一年の歳月が流れました。
それまでは、全日本大会に参加した印象を語って頂くだけでした。
それも、既に会長が他界してしまっては、一緒に時を刻む事は出来ないという事です。
そのような意味では、この二十一年の一緒の歩みが宝石の輝きを持っているという事です。
この期間の歩みは、実に私自身としては、誇れる人生の期間になっているのです。
それもそのはず、三十九歳で我が家を継ぐために仙台に帰って来ていたのです。
家出同然で十代で東京に向かって、全国を渡り歩いて来ました。
実家に帰ってきて、遅ればせながら大学大学院と通い、真の指導者を目指したのです。
その終着駅を与えてくださったのが、手塚会長という事でした。
家業だけに専念するのではなく、極真会館の指導も天職として与えられたのです。
指導員までは経験を持っていましたが、師範として独り立ちは初めてのことでした。
悩んだ末での決断でしたが、今思うと、奇跡的な事であったと感じているのです。
今までの社会経験を土台として、東北学院大学で学問を始めた事は有意義でした。
学問を系統的に学び、教職課程を終了し、修士課程修了をしたのです。
学問の追求は、八年に及びましたが、極真の指導者の道は正解を選択した事は、正解であったと思うのです。
四十八歳の時、支部認可状を会長から頂いた時は、身震いがしたものです。
さて、家業だけを継ぐならば、それは楽な人生で悩みも少なかったのです。
それを敢えて、極真の指導者という苦労の道も選択したのです。
思うに、安易に生きて行くことが出来ない性格なのかもしれません。
それでも、四年余の師範代を踏まえて、師範としての道を力強く歩み始めたのです。
四十歳からの人生の新たな旅たちということでしょう。
全てを投入して、自分の目標を立てるという事は、結構犠牲も伴います。
それを、妻は寛容に見守ってくれたことに対しては、感謝の何物でもないのです。
決して、経済活動をベースにしているわけではないので、将来に不安を妻は感じたのです。
それでも、人生という原点に立って、戦い抜くという気構えがあったのでした。
すなわち、極真空手の選手としての歩から、指導者としての変身です。。
どれだけ、認知されるかわからなかったのですが、一歩ずつ進んできたのです。
何年か指導をして行く中で、地域の中でそれなりの評価も頂くようになりました。
そして、多くの友人も増えてきているのです。
そのような諸先輩の助けのお陰で、守られてきたのです。
今の時を迎えているということに、万感の思いがあるのです。
ところで、極真会館手塚グループは、教育という命題を大切にしているのです。
選手として、活躍することもありますが、それ以上に社会貢献できる人材を望むのです。
選手として活躍するという事は、自分の経験からして、一時的な事であるのです。
もっと大切な事は、継続的に社会に貢献できる人材を育成するという事です。
私自身の経験から、極真空手の精神でもって、良き伴侶を頂くという事にもなりました。
その伴侶のお陰で、極真の指導者も可能になったという事です。
私が結婚して家庭を持ったのは、三十四歳の時でした。
恋愛期間が十年に及んだのですから、よく別れなかったと胸を撫で下ろします。
大阪で暮らしていて、実家に帰るという決断に対しても、妻は文句の一つも言わなかったのです。
そして、当たり前に、嫁と姑の戦いは凄まじいものがあったはずです。
それも、実家を出ることもせず、一緒に戦ってくれたのです。
苦労をいとわずに、私と共に歩んでくれた人生ということです
結婚した当時は、東京都の三鷹市のアパートで六畳一間でした。
お互いに仕事を持っていましたから、ファミレスで夜中に会っていました。
それでも、未来に対する夢をお互い語り合ったものです。
その時から、もう既に三十年の歳月が流れたのでした。
そんなこともあって、二十一年の極真の指導者としての歩みは感無量なのです。
とにかく、冒険の連続だけの人生ということでした。
そのような冒険が出来たのも、良き友人がいて、環境が準備されて、活動の部隊が出来たのです。
ありがたいことに、妻との間に三人の子供も授かりました。
そして、最大の良かった点は、親不幸にも家出をした私が、実家に帰って、親孝行であるという評価も得たのです。
気持ちは、悪くはないのです。
それどころか、長男としてしっかりとした足取りを残すことが出来たのです。
自分で選んだ極真の指導者の道ですから後悔はないのです。
そのような経験から、極真精神は、人生を良き方向に導くと確信するのです。
流されて、人生を歩より、武士道精神を抱いて一つのことを成し遂げるという事は素晴らしい事です。
決して、中途半端にはならない人生を過ごすことができるというものです。
私自身の経験を生かしての教育ということなのです。
できるだけ、これから育つ人材に対して、真心を込めていきたいものです。
それが、今まで続けてきた極真空手に対しての礼儀であると思っているのです。
まだまだ肉体は改造の余地はあります。
それだけに、自己管理をしっかりして、未来に向かっていきたいものです。